旧ソ連の作曲家ドミトリー・ショスタコービッチ(1906~75年)の伝記として最も信頼できるとされるエリザベス・ウィルソン著「ショスタコーヴィチ 回想される生涯」(みすず書房)の日本語版が、札幌大谷大(札幌市)の千葉潤学長(60)らの翻訳で出版された。翻訳開始から20年かけた労作で、関係者の証言を基に20世紀を代表する作曲家の実像を明らかにしている。
英国の音楽家による証言集
著者のエリザベス・ウィルソンは英国人音楽家で、1964~71年にモスクワ音楽院に留学し、チェリストのムスチスラフ・ロストロポービッチにチェロを学んだ。ソ連末期の88~90年には再びモスクワに研究で滞在し、ショスタコービッチの親友や知人ら45人にインタビューを行った。
作曲家が存命だった当時のソ連は、共産党と秘密警察が支配する閉鎖国家で、市民は自由に意見を言えなかった。ショスタコービッチ自身も秘密警察の盗聴を恐れて本音を語らず、生前に“回想録”として広く読まれた「ショスタコーヴィチの証言」(ソロモン・ヴォルコフ著)も、現在は内容の信頼性が疑問視されている。
グラスノスチ期の貴重な証言
一方、ウィルソンが聞き書きを行った88~90年は、ゴルバチョフ最高指導者が進めたグラスノスチ(情報公開)によって言論の自由が拡大した時期で、作曲家の友人らが忌憚なく語っており、知られざる秘話や迫真的な証言が多いという。
原著は1994年に初版、2006年に改訂版とロシア語版が刊行された。日本語訳は同年、くらしき作陽大准教授の森泰彦さんが地の文を英語の原著から、ロシア人のインタビュー部分を千葉さんがロシア語版から翻訳する形で開始。2人は東京芸術大で学び、ショスタコービッチなどを専門としていた。
翻訳開始から20年、完成に至るまで
2016年には初稿ができたが、森さんが18年に急逝し翻訳作業が中断。千葉さんは札幌大谷大学長に就任した翌年の22年に一念発起し、全面的な翻訳に改めて着手、翻訳開始から20年たった今年完成した。
日本語版は本文だけで約600ページ、原注や人物の伝記メモ、索引などを加え計736ページの大部の本に仕上がった。今後の研究に欠かせない「事典」のような内容だという。
千葉さんは「ものすごく情報量の多い著作で、多くのロシア人らが自分だけが知る話を語っている。翻訳にかけた20年は苦労よりも、作曲家を知る充実した時間だった。多くの人たちに共有してもらえれば」と話している。定価は8800円(税込み)。



