長嶋茂雄追悼展、松山で22日開幕 「不滅」宣言後の日米野球を回顧
長嶋茂雄追悼展、松山で22日開幕 日米野球回顧

戦後のプロ野球で絶大な人気を誇った長嶋茂雄さんが亡くなって1年余り。その歩みをたどる「長嶋茂雄追悼展 ミスタージャイアンツ 不滅の背番号『3』」(読売新聞社など主催)が22日から8月3日まで、松山市のいよてつ高島屋で開催される。これを機に、“ミスター”が愛媛の球場に立った2試合を振り返る。

「不滅」宣言から約1カ月後、松山にミスターが立った

「我が巨人軍は永久に不滅です」。1974年10月14日、東京・後楽園球場。長嶋さんは最終戦後の引退セレモニーで名せりふを残し、現役を退いた。日本シリーズ9連覇を果たした川上哲治監督の後任として、巨人を率いることが決まっていたが、この後も「選手」として試合に出場していたことは、あまり知られていない。

ちょうど米大リーグ・メッツが来日し、日米親善野球が同月26日から全国14球場で行われた。38歳だった長嶋さんは11月12日、松山城の堀の中にあった松山市営球場に登場した。「不滅」宣言から約1カ月後だ。

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2万5000人の超満員、ミスターの雄姿に沸く

曇り空で平日の昼間の試合だったが、ミスターの雄姿を目に焼き付けようと、2万5000人の超満員となった。翌日の読売新聞によると、長嶋さんは3番サードで先発出場。初回に三遊間を痛烈なゴロで抜き、2打数1安打。試合は九回、メッツの選手が右翼場外へ3点本塁打を放ち、巨人が5―7で逆転負けした。「反撃2ランに逆転3ラン」「松山の声援に発奮」などの見出しが並んだ。

市営球場は現在、城山公園に生まれ変わった。長嶋さんが立ったバッターボックスやホームベースは同じ場所に埋め込まれ、往時をしのばせる。

「さよならツアー」としての日米野球

当時、ファンの関心は長嶋さんの引退に注がれており、日米野球はある意味、長嶋さんの「さよならツアー」でもあった。新潟では2安打を放ち、ご機嫌でベンチに引っ込むと、観客から「長嶋をコーチに出せ」と声が上がった。ファンサービスを信念とするミスターらしく、七回に三塁コーチ、八回には一塁コーチに立った。札幌ではパンをほおばっている途中に三塁コーチへ強引に引っ張り出されたという。記事は「人気者はつらい」と締める。

引退決断の理由と驚異の打率4割超

長嶋さんは後年、読売新聞の連載「時代の証言者」で、自らの引き際を決めた理由について語っている。「ボールを真っ芯でとらえても、内野手の正面に飛んでしまう。執念がバットに乗り移らない」

それでも、日米野球18試合のうち17試合に出場し、27打数12安打、4割4分4厘の高打率を残した。メッツの選手が「あれだけ鋭くバットを振り切れるバッターがなぜやめてしまうのか」と引退を惜しんだという。ここ一番での勝負強さは、最後まで衰えなかった。

追悼展の概要

追悼展は午前10時~午後7時。入場料は一般1200円(前売り1000円)、高校大学生1000円(同800円)、中学生以下無料。

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