「一度の人生切り開いて」サイエンスアーティスト市岡元気さんが語る夢を阻む壁と抜け道
「一度の人生切り開いて」市岡元気さんが語る夢と壁

サイエンスアーティストの市岡元気さん(42)は、自身の経験を基に「どんな境遇にあっても、自分の人生は自分で決めてほしい」と語る。母子家庭で育ち、精神疾患を抱える母親の面倒を見ながら日常的に家事を担ってきた。周囲から大学進学を反対されたが、「科学に携わる仕事に就きたい」という夢を諦めず、自ら学びの道を探し続けたという。

幼少期の経験とヤングケアラーとしての日々

市岡さんは3歳の頃に両親が離婚。統合失調症を患う母親は幻覚や妄想に襲われ、入退院を繰り返していた。小学3年の時、母親が精神安定剤を大量に飲み自殺未遂を起こした。夜中に異変に気付き救急車を呼んだという。それ以降、毎晩母親が薬を飲む姿を見届けることが日課となった。

母親は床に伏していることが多く、家事ができない状態だった。部屋はすぐに散らかり、2歳下の弟と掃除や洗濯をせざるを得なかった。家計は苦しく、生活保護も受けていた。

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いじめと母の支え、夢への挑戦

小学校低学年の時には、靴を隠されたり下敷きを折られたりするいじめに遭った。しかし、落ち込んで帰宅しても母親は笑顔で迎え、図工の絵やテストの点数を「すごい」「天才だね」と褒めてくれた。母親が家で待っていると思うことで、学校での嫌なことを我慢できたという。

小学生の頃から理科が好きだった市岡さんは、高校生になると大学でDNAの研究をしたいと思うようになった。しかし、周囲は大学進学に反対。親戚などからは「お金がないんだから、勉強せずに働け」「親を置いていくなんて人でなし」と責められた。それでも、「この先母がいなくなったときに『僕は何のために生きてきたのだろう』とは思いたくなかった」と振り返る。

自ら切り開いた道と現在の活動

市岡さんは、家に来るケアマネジャーに相談したり本で調べたりして、大学で学べる道を探した。学費が安い国公立大で、奨学金をもらえば通えると考えた。大学は奨学金とアルバイトで何とか通い、卒業後は科学実験を手掛けるプロダクションに就職。7年前に独立し、ユーチューブを中心に子どもたちに科学の面白さを伝えている。

母親の病気は続いているが、市岡さんが出演するテレビ番組や動画を見ると、今でも褒めてくれ、励みになっているという。市岡さんは「一度きりのあなたの人生です。出口がないと思えても、抜け道がきっとあるはず。探し回ってください。大丈夫、なるようになる」と語りかけた。

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