黒柳徹子、板東英二さんを追悼「お母さんと呼ぶ声が耳に残る」
黒柳徹子、板東英二さん追悼「お母さんと呼ぶ声が耳に」

タレントの黒柳徹子が28日、自身のインスタグラムを更新。慢性心不全のため22日に86歳で亡くなった板東英二さんを追悼した。黒柳は『世界・ふしぎ発見!』で長年にわたり共演していた。

『ふしぎ発見!』での思い出

黒柳は、板東さんがいつも自分を「お母さん」と呼んでいたことに触れ、「その『お母さん』という声が、今でも耳に残っています」とコメント。エジプトなどでのロケや、ラクダと本気で言い争ったエピソードも紹介した。

板東英二さんの功績

板東さんは1940年生まれ、旧満州出身。1958年夏の甲子園で徳島商業の投手として準優勝。後に中日ドラゴンズに入団し、11年間活躍。タレントとしても『マジカル頭脳パワー!!』などで人気を博し、1990年には日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞した。

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黒柳徹子の追悼コメント全文

「板東さんの訃報を聞いて。板東さんとは本当に長いお付き合いでした。一番長くご一緒したのは『世界・ふしぎ発見!』です。板東さんはいつも私のことを『お母さん』と呼んでいました。私は『あなたを産んだ覚えはない』なんて言っていましたが、その『お母さん』という声が、今でも耳に残っています。エジプトをはじめ、いろいろな国へロケにも行きました。いつも変わらずユーモアがあって、ラクダと本気で言い争いをしていた姿は、今思い出しても思わず笑ってしまいます。本当に楽しく、面白い方でした。その一方で、とても優しく、私にいろいろなことを教えてくださる方でもありました。インドのロケではたくさん宝石を買っていらして、『そんなに買ってどうするの?』と聞いたら、『じゃあ、あげる』と言って、空港で私に宝石をくださいました。今でも、大切にしています。そんな気前の良さも、板東さんらしい思い出です。板東さんの奥様もとても素敵な方で、私と家が近くだったので、時々お目にかかりました。いつも上品で礼儀正しく、本当に素晴らしい方だと感心していました。板東さんは、ご苦労も多い人生だったと思いますが、いつも明るく、『自分は長嶋さんより契約金が高かったんだ!』と誇らしげにお話していました。今ごろ天国で長嶋さんに再会して、『やっぱり僕の方が高かったよね』と、笑いながら話していらっしゃるかもしれませんね。本当に楽しく、温かい方でした。ああいう方がいなくなってしまうのは、本当に寂しい思いでいっぱいです。」

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