反戦奏でるクラリネット、大和ミュージアムへ 西都出身・矢野さんの遺品
反戦奏でるクラリネット、大和ミュージアムへ 西都出身・矢野さんの遺品

戦艦大和の軍楽隊で演奏されたクラリネットが、修復を経て広島県呉市の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)に寄贈されることになった。元の持ち主は、西都市出身で日本海軍の軍楽隊に所属していた矢野務さん(2018年に96歳で死去)。「戦争はしてはいけない」という思いとともに後輩に受け継がれてきた。

戦艦大和で演奏、山本長官の前でも

矢野さんは西都市出身で、妻尋常高等小学校を卒業後、長崎県の佐世保海軍工廠に就職。遺族や生前の証言によると、もともとギターをたしなんでおり、佐世保で知った軍楽兵に憧れて軍楽隊を目指した。神奈川県の横須賀海兵団で練習生として1年半訓練し、クラリネットを習得。試験に合格して軍楽兵となり、1941年12月の太平洋戦争開始後、戦艦「大和」に配属された。

大和には連合艦隊の司令部が置かれ、山本五十六司令長官が乗艦。司令部直属の軍楽隊として配属された矢野さんは、支給されたクラリネットを大和に持ち込み、山本の前でも演奏した。生前、「演奏を聴いて、山本長官は手で膝をたたいて拍子を取っていた」「長官から『行進曲(軍艦マーチ)をやってくれ』と頼まれた」と振り返っていたという。

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戦後は県警音楽隊で演奏

軍楽隊は1943年2月に戦艦「武蔵」へ転属後、同年5月に横須賀へ移された。大和、武蔵両艦は沈没したが、矢野さんは戦争を生き延びた。「『軍楽兵だから助かった』と言われることもあったけど、艦ごと海に沈んだ軍楽隊もあった。『戦争はしてはいけない』というのが命をかけて学んだ結論」などと語っていた。

支給品のクラリネットは軍楽隊の解散時に矢野さんに引き渡された。戦後、故郷の西都市に戻った矢野さんは1951年に宮崎県警に入り、県警音楽隊でもクラリネットを担当。退職後も高齢者施設などで演奏を続け、亡くなるまで傍らにクラリネットを置いていた。

修復経て最後の演奏会、寄贈へ

矢野さんの死後、クラリネットは県警時代の後輩で楽長を務めた井手茂貴さん(78)に譲られた。傷みがひどく演奏できない状態だったため、専門家に依頼して1か月かけて修復。2023年と25年に県内で演奏会を開催した。井手さんは「より多くの人に知ってほしい」との思いで、大和ミュージアムへの寄贈に向けて調整を進めている。

6月に開かれた今年の演奏会は県内最後で、井手さんの知人でクラリネット奏者の日高由美子さん(48)が、矢野さんのクラリネットで県警音楽隊員らとともに「椰子の実」や「軍艦マーチ」を演奏した。演奏後、日高さんは「矢野さんの息づかいを感じ、胸が熱くなった」と語った。井手さんは「宮崎での最後の演奏で感無量。矢野さんが語った戦争の悲惨さ、平和への思いをこの楽器が伝えていってくれると思う」と確信している。

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