B面から大ヒット「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」と横須賀の魅力
B面から大ヒット「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」と横須賀

「港のヨーコ」誕生秘話

1975年にリリースされたダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は、型破りな構成で知られる。作詞は阿木燿子、作曲は宇崎竜童。歌詞は、姿を消した女性ヨーコを探す男性の視点ではなく、横浜から横須賀へ流れたヨーコが働く酒場の店員やホステスの証言をそのまま詞にしたもの。旋律はサビの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の3小節だけで、残りはギターのリフをバックに語りで構成される。

宇崎竜童さんは当時を振り返り、「アルバム『続脱・どん底』制作中に3曲足りず、苦し紛れに作詞の心得のない妻に『何でもいいから3曲分作って』と頼んだのが始まり」と語る。阿木燿子さんは一晩で3つの歌詞を書き上げ、その一つが「ヨーコ」だった。「斬新な歌詞と言われるが、作為はなかった。2番以降は1番と字数をそろえる基本も知らず、さらさらと書いた。素人だからこそ作れた詞だと思う」と阿木さんは振り返る。

宇崎さんは「これは面白い」と思ったが、作曲には苦労した。言葉がロックのビートに合わず、間の抜けた旋律になってしまった。「米国のトーキングブルースのスタイルを参考に、サビ以外は語りにすることで解決した」という。

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B面から大ヒットへ

バンドは1974年の「スモーキン・ブギ」でブレイク。1975年の次のシングルはその路線を継ぐ「カッコマン・ブギ」で、そのB面に「ヨーコ」を収めた。宇崎さんは「いずれB面の方が話題になる予感があった」と話す。案の定、有線放送で評判となり、テレビの音楽番組でも「B面を演奏してほしい」と要望が来るように。この曲がメイン扱いとなり、最終的に約80万枚を売り上げた。歌詞中の「アンタあの娘の何んなのさ」は流行語となり、続編や方言版、同名映画も制作された。

宇崎さんは「作曲家になるのが夢だったが、この曲がきっかけで妻とともに多くの依頼が殺到し、ヒットにも恵まれた。まさにヨーコ様々です」と笑う。この曲は、一部の愛好家に支持されていた日本のロックを大衆化させた記念碑的作品でもある。

横須賀の観光スポット

横須賀は軍都としての歴史を持ち、戦前は旧海軍の基地、戦後は米海軍と海上自衛隊が拠点を置く。中心部の三笠公園では、日露戦争の日本海海戦で旗艦を務めた戦艦三笠が公開されている。

港の沖合約1.7キロメートルに浮かぶ猿島は、幕末に台場が築かれ、明治以降も砲台や高射砲が設置された要塞島。首都防衛の一翼を担った。木々に覆われた切り通しに石垣や煉瓦が積まれ、兵舎や弾薬庫が残る異界のような空間が広がる。探検ツアーのガイド山口真代さん(64)は、石垣に残る弾痕を指し、「戦後、連合国軍が上陸し、日本兵の立てこもりを疑って威嚇射撃しながら進んだ跡です」と説明する。

軍港巡りと艦艇の進化

自衛隊や米海軍の施設を望める軍港巡りクルーズも人気。潜水艦、イージス艦、掃海艇など様々な艦艇が停泊する非日常的な光景を楽しめる。世界最大級の原子力空母ジョージ・ワシントンが寄港中で、全長300メートルを超す威容に圧倒される。ガイドの鈴木海斗さん(30)は「右から昭和期建造のはまぎり、平成期建造のいかづち、令和建造のもがみ。ステルス性を高めるなど形状も大きく変わり、進化の過程を目の当たりにできる」と解説する。

ドブ板通りとネイビーバーガー

横須賀を代表する歓楽街・ドブ板通りは、アメリカ文化の香りを残すレトロな雰囲気。英語の看板、カラフルなネオンサイン、スカジャンを並べた洋品店などが並ぶ。歌に登場するヨーコが流れ着いた店もこの通りにあったのだろう。

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横須賀のグルメとしては、明治期の海軍カレーが有名だが、対抗馬として人気なのが「ヨコスカネイビーバーガー」。米海軍基地が提供したレシピを基にしている。源流は1968年開店の「ハニービー」。創業者は米海軍基地のコックを務めており、レシピを軸にした料理を提供してきた。経営母体は変わったがメニューは当時とほぼ変わらない。基本形の「レギュラーネイビーバーガーコンボ」(飲み物、ポテト付き)は2460円。吉見祐也店長は「塩、コショウのシンプルな味つけで、牛肉の存在感を前面に出しています」と話す。

アクセスと周辺情報

品川駅から京浜急行の特急または快特で横須賀中央駅まで45分~1時間。東京駅からJR横須賀線で横須賀駅まで1時間20分ほど。問い合わせは横須賀市観光案内所(046-822-8301)。