山形県大石田町は、歌人・斎藤茂吉が戦後の一時期を過ごし、後期の傑作とされる歌集「白き山」を生んだ地である。最上川が南北に流れる雪深い盆地に広がるこの町には、茂吉が暮らした家や墓、歌碑が残り、舟運の歴史を伝える建造物も点在する。
茂吉が暮らした「聴禽書屋」と最上川
大石田駅から向かったのは、茂吉が自ら名付けて住んだ「聴禽書屋」。隣接する町立歴史民俗資料館の学芸員、大谷俊継さんによると、大石田は江戸初期から最上川の舟運の中継拠点として開発され、「最盛期の元禄期にやってきたのが松尾芭蕉だった」という。当地で地元の俳人らと巻いた歌仙の発句を基に「五月雨をあつめて早し最上川」は生まれた。
書屋の中には、窓際の棚に円形の黒いしみがある。小用が近かった茂吉は、部屋にバケツを常備し、円形は「極楽」と呼んだそれを洗って置いてできた痕跡という。茂吉の暮らしぶりがしのばれる。
「白き山」と大石田の風景
茂吉は大石田で850首を詠み、歌集「白き山」にまとめた。「最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片」の歌碑が立つ虹ヶ丘公園の展望台からは、ゆるやかに蛇行する最上川と、盆地だと分かるぐるりの山々が望める。歌人を再生させたに違いない風景が広がる。
「虹の断片」の歌は、町の中心部にある大橋を渡っていた時、川上にかかった虹に取材したものだ。大橋は近年中に架け替えられると聞く。茂吉の世話役を務めた門人、板垣家子夫の孫にあたる板垣知明さん(69)が教えてくれた。
舟運の歴史と茂吉ゆかりの寺
大橋に近い乗舩寺には、青山霊園、故郷・金瓶の宝泉寺に加えて三つ目の茂吉の墓がある。約2メートルもある釈迦如来涅槃像は、京の仏師の作と推定され、安達良信住職によれば「山形に運ばれるはずだったが、重くなって運べず」この寺に安置されたと伝わる。舟運の地ならではの逸話だ。
舟運文化を支えた仕事に触れるなら、町役場近くの「桂桜会館」展示室が充実している。船大工の道具、左官の道具、鏝絵の解説、川を行き交った舟の模型などが展示されている。板垣さんは、芭蕉も訪れた黒瀧山向川寺や、上山市での昭和天皇ご進講について思案した今宿薬師堂など、茂吉ゆかりの場所も案内してくれた。
次年子窯と大石田のそば
町の西側、次年子地区にある次年子窯では、高橋廣道さん(55)が廃校になった小学校の十四角形の校舎を再利用した工房で、温泉などで見かける陶器の浴槽を作っている。雪に閉ざされた静けさの中で集中できる冬は特に「物作りに適した場所」だという。
大石田はそばの町で、「大石田そば街道振興会」には12店が加盟する。「蕎麦屋まんきち」の看板メニュー「天ぷら板そば」(1750円)は、こしのあるたっぷりのそばと天ぷら、2種の漬物が付く。初代店主の芳賀清・同振興会会長は「大石田では、そばは家で打って食べるものだった」と話し、2代目の昭紀さん(50)は「刈りたて・挽きたて・打ちたて・茹でたて・心だて。五たての精神で両親が作った店を守り、正直に商売に向き合いたい」と語る。今年の「新そばまつり」は10月31日、11月1日に開かれる。



