郷土の作詞家・岡本おさみさんの功績伝える 長谷川泰二さん(米子市)
郷土の作詞家・岡本おさみさんの功績伝える 長谷川泰二さん

米子市出身の作詞家・岡本おさみさん(1942~2015年)の功績を後世に伝えようと、市民団体「岡本おさみさんを語る会」の会長を務める長谷川泰二さん(80)=米子市=が活動に情熱を注いでいる。「僕らの世代に大きな影響を与えた人で、米子の誇り。もっと多くの人に知ってもらいたい」と語る。

学生運動の渦中からフォークソングへ

長谷川さんは米子市出身。1966年に早稲田大学へ進学し、放送研究会でラジオドラマの脚本制作に取り組んだ。当時は学生運動の渦中で、1968年の「新宿騒乱事件」や1969年の「東大安田講堂事件」では、報道用のヘルメットをかぶって仲間と現場へ向かった。機動隊に殴られ、血だらけではじき出されていく学生たちの姿を最後まで見届けたという。

熱狂の末に訪れた徒労感と無力感。「世の中はそう簡単に変わらないのではないか」。そんな心に寄り添ったのが「4畳半フォーク」だった。不器用な恋心や悩みをアコースティックギターで等身大に歌うスタイルは若者の共感を集め、吉田拓郎さんやかぐや姫らが次々とヒットを飛ばし、フォークソングが時代を席巻していった。

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岡本さんの歌詞に心救われた

大学を卒業し、東京の広告会社で働いていた1972年の夏。深夜ラジオで、吉田さんが歌う岡本さん作詞の「旅の宿」が流れてきた。「部屋の灯をすっかり消して 風呂あがりの髪 いい香り 上弦の月だったっけ ひさしぶりだね月見るなんて」――温泉旅行での男女の趣ある情景を描いた歌詞に、「俺たちが憧れる温かな時間や情景が、なんでこんなにも分かるんだろう」と強烈な衝撃を受けた。

それ以来、落ち込んだ時は部屋で一人、岡本さん作詞、吉田さんが歌う「落陽」や「都万の秋」のレコードをかけた。フーテンのおじいさん、漁師の夫の帰りを待つ女性――。決して派手ではないけれど、懸命に生きている人々へ注がれる岡本さんの愛情深い眼差しに、何度も心を救われたという。

「とにかくやってみたらいい」の一言

その後、急性肝炎を患ったのを機に、31歳で米子へ帰郷。知人と広告企画制作の会社を設立した。「地元を音楽の力で元気にしたい」との思いを募らせていた1984年夏、知人の紹介で、帰省していた岡本さんと初めて会うことになった。知人ら数人と岡本さんを交えた朝日町での酒席の場。大きなホールがなく、「米子では音楽イベントなんてできない」と自分たちが愚痴をこぼす中、岡本さんはまっすぐ目を見て言った。「とにかくやってみたらいい。協力するよ」。その一言に目頭が熱くなった。

翌年、市公会堂など市内約10か所でライブやコンサートを開く「米子ワイワイ音楽漬けプロジェクト」を始めた。岡本さんの親友である上田正樹さんや敬愛する坂田明さんのほか、河島英五さんらも出演。1987年まで3回続けた。計500万円の赤字となったが、「死ぬわけじゃない。一歩前に出れば、次の一歩が見える」と前を向いた。

記念碑建立からアワード創設へ

2015年11月、岡本さんが73歳でこの世を去った。「偉大な作詞家の功績を、このまま風化させてはならない」。思いを募らせ、2023年4月に「語る会」を設立。全国に寄付を呼びかけ、2024年11月には市公会堂に念願の記念碑を建てた。来春をめどに岡本さんの作詞集の発刊も計画する。

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目指すのは、若手アーティストの登竜門となる「岡本おさみアワード」の創設だ。岡本さんはかつて、第1回音楽漬けプロジェクトの冊子に「第一歩は、困難がつきまとって当然だ。大切なのは投げださないこと」と寄せた。その言葉を胸に、「米子で若手を育成できる土壌をつくる。それこそがまちづくりの原点だと思うから」と柔らかな笑顔で語った。