ポール・リンチ著『預言者の歌』(早川書房)は、2023年ブッカー賞受賞作。ハヤカワ・プラス創刊第1弾として出版された。訳者解説によれば、シリア内戦の状況をアイルランドに置き換えたシミュレーション小説である。
内戦で家族が次々と消える
ある夜、アイルランドに住む主人公の家に警察が現れ、夫の居場所を尋ねる。不穏な空気の中、夫は労働組合員としてデモに参加後、連れ去られる。徴兵制が始まり、主人公は16歳の長男を逃がそうとするが、彼は自ら反乱軍に加わり消息を絶つ。認知症の兆しがある父親は、戦火が激しくなった日に電話をかけてきて、亡き妻がいなくなったと混乱する。主人公は駆けつけられず、翌日辿り着くと父親の姿も消えている。
言葉の崩壊と希望の逆説
主人公は小さな子どもに家族がいなくなったことを説明できず、「大丈夫」と抱きしめる。しかし帰ってくると信じて待つことで新たな喪失を生む。希望が現実を悪化させ、言葉が嘘に変わる。人と人をつなぐ言葉という橋さえ崩れる。息もつかせず次々と奪う展開で読者を暗いトンネルに閉じ込めるが、読後には世界の中に一人立つ力を与えられる。
コロナ禍と重なる普遍的な喪失
理不尽に大切な人と突然遮断される経験は、戦争だけでなく近年の日本でも多くの人が経験した。コロナ禍で入院すると面会禁止となり、何ヶ月も会えなくなった。何ができたのか、どうすればよかったのか、答えのない迷子のような感情がこの小説に書き留められている。多くの人が自らの喪失を重ね、人類に共通の場所へ導かれるだろう。
栩木伸明訳。3410円。



