国際日本文化研究センターと読売調査研究機構が共催するオンラインセミナーが2026年7月16日に開催され、同センターの松田利彦教授が「鷗外森林太郎と脚気―臨時脚気病調査会を(再)再考する」と題して講演。その後、岐阜大学の林正子名誉教授との対談が行われた。
軍医局長時代の鷗外と「Resignation」
林名誉教授は、森鷗外が1907年から1916年まで約8年半、陸軍省医務局長を務めた時期に着目。この時期は木下杢太郎が「文藝上の豊熟の時代」と呼ぶほど多くの作品を発表した。鷗外は自然主義全盛の文壇やジャーナリズムからの批判にさらされながらも、現代小説から歴史小説、史伝、翻訳と驚異的な文筆活動を展開した。
その精神的な拠り所がドイツ語の「Resignation」だった。鷗外は1909年の随筆「予が立場」で、自身の心持ちを「Resignation」と表現。林名誉教授は、文壇批判や陸軍衛生部内の暗闘、軍医トップとしての重圧の中で、鷗外は「存外平気」と記し、防衛機制を働かせていたのではないかと述べた。
文学作品に表れる「諦念」と「永遠の不平」
小説『カズイスチカ』では主人公が父の「résignation」に敬意を抱く場面がある。史伝『伊澤蘭軒』では蘭軒の心境を「忍辱」と「レジニアシヨン」で表現。三島由紀夫は鷗外のResignationを「苦難の中に責任を全うする平静さの勇気」と評価し、小堀桂一郎は「運命を受け入れ、達観した上で淡々と行動するたくましさ」と解釈した。
一方、1911年の小説『妄想』で鷗外を思わせる主人公は「永遠なる不平家」と自称。林名誉教授は「諦念」と「永遠の不平」の2極間を振幅する精神の運動が鷗外の創作の原動力になったと分析。日本語の「諦念」が静的なのに対し、鷗外の「Resignation」は動的で発展的な統合を目指すものだとした。
脚気問題への沈黙と文学への反映
脚気問題について、松田教授の講演では、細菌学の権威コッホに師事した鷗外が海軍の高木兼寛の「栄養欠陥説」を受け入れられなかった背景が示された。林名誉教授は、日清・日露戦争での陸軍の膨大な犠牲に対し、鷗外の行政的責任は免れないが、全権限を持っていたわけではなく全責任を負わせるのは妥当でないと指摘。その上で、科学的根拠を優先した側面は否定できないとした。
鷗外は1916年に退官。退官前後の作品『最後の一句』『高瀬舟』『寒山拾得』には官僚機構への怒りや不信、罪と責任への省察、権威への批評が反映されている。しかし、脚気の犠牲者に対する直接的な慟哭や懺悔は文学作品に見られない。林名誉教授は、あまりに深刻な過ちであったため潜在意識下の強固な防衛機制が働き、沈黙そのものが内面の葛藤とResignationの連関を示すと考察した。
今後の研究の可能性
松田教授は、脚気問題は文学研究でも触れにくいテーマだとし、今後の掘り起こしの可能性を質問。林名誉教授は、鷗外が退官直後に執筆した史伝作品『渋江抽斎』『伊澤蘭軒』『北條霞亭』に着目。医学者としての観察眼と文学者の筆致が生かされた史伝の世界と、脚気問題との関係を今後の宿題と述べた。また、脚気問題は鷗外文学の特質を探求する鍵であり、自然主義文学へ向かわなかった鷗外の姿勢とResignationの心境、脚気問題への姿勢がその特質を表現していると語った。



