生誕80年、中上健次の文学が今も読者を魅了し続ける
生誕80年、中上健次の文学が今も読者を魅了

作家・中上健次が生誕80年を迎えた。紀州を出発点に地縁血縁が絡む濃密な小説を書いた中上の作品は、今も多くの読者を魅了し続けている。ゆかりの地・和歌山県新宮市を訪ね、その足跡をたどる。

新宮に残る中上の面影

名古屋から特急で3時間以上、いくつものトンネルを抜けた先にある新宮駅。紀伊半島の東南部に位置し、山と海と川に囲まれたこの地は、自然崇拝に根ざす熊野信仰が受け継がれ、世界遺産にも登録されている。駅前には外国人観光客の姿も目立つ。

地元で漢方薬店を営み、観光協会専務理事を務める森本祐司さん(69)は「ここ最近はゲストハウスや民泊が爆発的に増えています」と話す。大通り沿いには全国チェーンの飲食店が立ち並び、中上が「路地」と呼んだ被差別部落をモデルにした文学空間はほとんど残っていないように見える。

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「熊野大学」と中上の遺産

森本さんは中上が1990年に設立した自主講座「熊野大学」の事務局長を長らく務め、晩年の中上と親しく接した一人だ。8日には中上が手がけた唯一の戯曲「かなかぬち」などについてのセミナーが予定されている。市立図書館には愛用の品などの資料が収蔵され、県内外から多くのファンが訪れる。

森本さんは「中上さんは散文の世界に収まらない人だった。残してくれた作品と人脈は大切な遺産だ」と語る。

「秋幸3部作」と芥川賞

中上は終戦からちょうど1年後に生まれた。父の異なる兄や姉たちのいる複雑な家庭環境に育ったことは、後の創作にも大きな影響を与えた。高校時代にはマルキ・ド・サドをはじめとする海外文学、上田秋成や大江健三郎、開高健などを乱読し、文学の道を志す。

上京後に発表した『十九歳の地図』が芥川賞候補になり、一定の評価を得た中上は、新宮を舞台にした小説を書き始める。血のしがらみにあえぐ青年の性愛と孤独を痛切な文体で表現した『岬』は76年に芥川賞を受賞。戦後生まれの作家として初めての受賞だった。

『岬』に続く『枯木灘』『地の果て 至上の時』は主人公の名前から「秋幸3部作」と呼ばれた。地元の知人らによると、酒を酌み交わす際には差別について人間はどう向き合うべきか、朝まで語っていたという。

現代に響く中上の言葉

新宮を舞台にした作品は今も多くの作家を魅了し続けている。雑誌「ユリイカ」6月臨時増刊号は特集を組み、古川真人さんや豊永浩平さんらが文章を寄せた。

今年『中上健次 路地のビジョン』(岩波新書)を刊行した大阪大の渡邊英理教授(近現代日本語文学)は、中上が『岬』をはじめとする小説で複雑な人間関係を補足も簡略化もせずに複雑なまま描いたことについて、「言の葉を生い茂らせ、何度も再読を促すことで、読者に新しい発見を与えてくれる」と指摘する。

他者との関わりあいを濃密に描く作風に触れ、「読者は中上の作品を通し、互いを支え合う契機を見つけることができる。それは国家間やSNSで相手を完全になき者にしようとする現代の風潮にあらがう、大きな力を与えてくれるのではないか」と話す。

新宮という土地にこだわった作家の生み出した物語は、ローカルな小説ではなく、「どこにでも路地はある」という立場に立ち、世界に共通するものを文学ですくい取っていた。物語の根底には、血の呪縛と魂の救済があったのではないだろうか。

<救けたい、と彼は思った。誰をも彼をも、救けたい。だが、どんな方法があるのだろう>(『岬』)

しんとした線路脇の日の光を浴びる道を歩きながら、秋幸の言葉が静かに響いてきた。

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