上高地での一句:ホトトギスと少女の名
1931年(昭和6年)6月24日、俳人の高浜虚子は、同じく俳人の田中王城とともに上高地温泉ホテルに宿泊した。この時期、上高地では昼も夜もホトトギス(時鳥)が鳴き響いていたという。そんな中、給仕として働く「色の黒い愛嬌のない少女」が現れた。虚子が「名はなんと申すのか」と尋ねると、少女は「とう」と答えた。珍しい名に虚子が聞き返すと、少女は「とうと申します」と繰り返した。さらに「生まれは何処か」と問うと、「飛騨でございます」と答えた。
このやりとりを詠んだのが「飛騨の生れ名はとうといふほととぎす」という句である。ホトトギスの鳴き声と少女の声が交錯する一室の情景が目に浮かぶようで、「と」の字の重なりが効果的だ。虚子は、ホトトギスの鳴き声を聴くことに重点を置いており、正岡子規のように血を吐くイメージで自らの号としたのとは対照的である。
武蔵野の初夏:夕影の濃さを詠む
上高地から約1カ月後の7月19日、虚子は武蔵野探勝会で埼玉の古利根川を訪れ、「夕影は流るる藻にも濃かりけり」という句を詠んだ。これは初夏の句で、刈藻の季節に浮かぶ草の藻に、夕暮れの光が濃く落ちる様子に心惹かれる叙情的な一句である。句にホトトギスは登場しないが、茜色や金色、赤褐色、橙色といった色彩が感じ取れる。
子規との対比:虚子のホトトギス観
正岡子規は生涯に何度もホトトギスを詠み、その口の中の鮮やかな赤色と血を吐くイメージに自身を重ねて「子規」(ほととぎす)を号とした。一方、虚子はその赤から距離を置き、もっぱら鳴き声に耳を傾けている。武蔵野にもホトトギスは生息していたはずだが、『武蔵野探勝』にはホトトギスの句は見られない。
本記事は武蔵野大学教授でむさし野文学館館長の土屋忍氏による連載の一環である。



