山崎の戦い、秀吉遅参?新説「摂津衆3人」が主役だった
山崎の戦い新説 秀吉遅参で摂津衆が主役

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第29回(7月26日)では、ついに山崎の戦いが描かれた。光秀(要潤)を打ち破り、信長(小栗旬)の仇を取った秀吉(池松壮亮)は、天下人となる決意を小一郎(仲野太賀)に語り、物語は清須会議へと続いていく。

ところが、この重要なターニングポイントとなった山崎の戦いについて、馬部隆弘氏の論文「山崎の合戦と池田恒興」(『中京大学文学部紀要』第60巻第2号)は新たな実像を提示している。それによれば、秀吉は合戦当日に遅参しており、主役は秀吉ではなく「摂津衆」と呼ばれる3人の武将だったという。

フロイスの書簡が示す新たな事実

馬部氏が検討した史料の一つが、ルイス・フロイスの書簡だ。これまでキリシタンである高山右近の活躍を誇張しているとして史実とみなされてこなかったが、馬部氏はフロイスには信孝や秀吉に忖度する理由がなく、「信孝と秀吉は疲労のため間に合わなかった」と書き残した点を重視。忖度のない記録だからこそ信頼できると結論づけた。

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摂津衆3人だけで戦った山崎の戦い

検討の結果浮かび上がった実像は、次のようなものだ。摂津の大身である高山右近・中川清秀・池田恒興は、秀吉本隊の到着を待たず、「秀吉が近くまで来ているらしい」という気配だけを頼りに3人だけで山崎へ進出。右近が中央の西国街道筋、清秀が山手(左翼)、恒興が淀川沿い(右翼)に配置され、三方から光秀を包む陣形を組んだ。

一方、秀吉本隊は光秀が勝龍寺城に籠城すると読んで、のんびり移動中だった。ところが光秀は予想に反して城から打って出る。秀吉本隊はまだ三里(約12キロ)以上後方におり、呼び戻しても間に合わなかった。

緒戦を制した右近、挟撃で明智勢崩壊

それでも1000人に満たない右近勢は単独で明智勢に突撃。緒戦を制すると、両脇の清秀・恒興が追いつき挟撃に転じた。明智勢は総崩れとなり、その日の夜には決着がついた。つまり山崎の戦いは、ほとんど摂津衆の3人と光秀の戦いだった。

馬部氏は「高山重友の戦功から誇張を差し引いて、中川清秀と池田恒興の戦功も相応のものであったとみるのが無難。三者のうち恒興が大将とされていたので、山崎の合戦最大の功労者は彼であったに違いない」と結論づけている。

情報戦で勝った秀吉

この3人を味方につけられたのが、秀吉が勝利した理由であり、それは情報戦の勝利だった。秀吉の巧みな情報操作が、摂津衆の行動を促し、自らが戦場にいなくても勝利を手繰り寄せた。まさに「物語」で勝った秀吉の姿が浮かび上がる。

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