台湾から海を渡り、日本でプレーすること20年余り。日本ハム、巨人で活躍したオイシックスの陽岱鋼外野手(39)が、今季限りで現役生活にピリオドを打つことになった。
「頭ではできるのに、体がついてこないつらさ」
8月1日に新潟市で行われた引退記者会見。グレーのスーツにピンクのネクタイ姿で登場した陽の表情は、すがすがしかった。「頭ではできるのに、体がついてこないつらさがあった。人と勝負する前に、自分に勝たなきゃいけない。体と相談して決断した」
走攻守でファンを魅了するプレーを長年支えてきた肉体は、限界に達していた。昨季限りで現役を退くつもりだったが、息子にそのことを伝えると、「もう1年見たい」と言われ、現役続行を決めた。「正直、体はきつかったけど、色々考えてもう1年やった方が子どもにとって、いい思い出になるんじゃないかと思った。(結果的に)これで良かった」と笑みを浮かべた。
日本ハムでの躍進と巨人での日々
台湾出身で、福岡第一高(福岡)から2006年に高校生ドラフト1巡目で日本ハムに入団。若手時代は二軍施設で朝から晩まで野球漬けの日々を送り、プロ選手としての土台を築いた。「試合より印象的」という鍛錬の期間を経て、5年目から一軍に定着。持ち前の俊足と強肩で13年に盗塁王を獲得し、4度のゴールデン・グラブ賞に輝いた。
16年オフにフリーエージェント(FA)移籍した巨人では、高橋由伸、原辰徳両監督の下、阿部慎之助、坂本勇人らとプレーした。「名前を見たら分かるスーパースターたちが野球を教えてくれたのは、本当に幸せだった」と振り返る。
思い出深いのは、岡本和真(現米ブルージェイズ)との日々だったという。「一番バッティングを聞いた」と明かし、「年下だけど、『(打撃面で)こういうところを意識した方がいいんじゃないですか』と色々言ってくれた」と感謝した。
故障との闘いと責任感
度重なる故障に悩まされ、巨人での5シーズンで100試合以上に出場したのは19年の1度だけ。それでも、人一倍強い責任感は、周囲の記憶に刻まれている。
巨人で選手のトレーニングやコンディショニングを担当する岩垣光洋さんは、試合で死球を受けた陽が、ロッカールームで泣いているところを目にしたことがある。「FAで来て結果を出したいし、これで離脱したらどうしようとか、色んな感情があったんでしょう。それだけ、『チームのために』という思いが強い選手だった」。年齢を重ねる中で、体のケアへの意識も目に見えて変わっていったといい、「そういったところも見つめ直して、気にかけながらやったから、この年齢までプレーできたんだろう」と目を細める。
巨人退団後、海外の独立リーグを渡り歩いた陽は、オイシックスを率いていた橋上秀樹監督(現巨人監督代行)に誘われ、24年に日本球界へ復帰した。現役にこだわった理由は何だったのか。
最後まで貫いたプロ意識
記者会見の最後、陽は時折、言葉を詰まらせながら言った。「プロで一緒に戦ってきた仲間が去っていくのは、つらかった。どこかで彼らのために活躍しないといけないと、勝手に使命感を持っていた。自分ができることは、野球界に残り続けることなんじゃないかと思っていた」
残り1年と決めて臨んだ今季も、遠征先に疲労回復のための機器を持ち込んでいた。置かれた環境や立場が変わっても、決して手は抜かない。最後までプロ意識を貫き続けた野球人生だった。



