アルゼンチンの日常に根ざすサッカー応援文化
アルゼンチンのスタジアムでは、熱狂的な応援が日常の風景となっている。子どもたちは幼い頃からサッカーに親しみ、チャントと呼ばれる応援歌やコールを覚え、応援の作法を体に刻んでいく。そうして蓄積された日常の熱量が、新たにサッカーに取り組む若者を増やし、熾烈な競争を生み、次世代の名手を輩出する原動力となっている。
代表チームがワールドカップで8試合を勝ち抜く力は、ピッチの外の日常に積み上がっている。アルゼンチンの熱狂から、そのことを強く教えられた。
日本の応援スタイルと照れの壁
翻って日本はどうだろうか。スポーツが好きで長年サッカーを見続けてきた筆者も、日本代表の試合を観る際、心の距離を置いていたように思う。対戦チームのスター選手の名前を挙げ、両者の力量を冷静に分析し、「相手は強いから」「グループステージ突破できれば御の字」などと、敗戦時の傷を浅くするような言葉を試合前から自分に言い聞かせてきた。
熱狂しすぎると負けた時の悔しさが大きい。だからこそ、冷めた姿勢を保ちながら応援してきたのかもしれない。これは筆者だけではないだろう。全力で感情を表現することへの妙な照れ、熱くなることを恥ずかしいと感じる感覚、叫ぶことを躊躇する気持ち。そうした遠慮が、熱量の表出を妨げているのではないか。
死の組に挑む日本代表への思い
予選リーグで日本が戦うグループFは、優勝候補のオランダ、アフリカ予選を無失点で突破したチュニジア、世界屈指のストライカーを擁するスウェーデンがひしめく強豪揃いの組だ。有力チームでも予選敗退の可能性が低くない、いわば「死の組」である。
しかし、だからといって「相手は強いから」「あの選手がいないから」と言い訳を先に用意するのはやめにしよう。きっとアルゼンチンの人々は、ずっとそうしてきたはずだ。1986年の優勝から次のトロフィーを掲げるまでに36年かかった。その間、全てのワールドカップに出場し、何度も敗れた。グループリーグ敗退もあれば、決勝で2度敗れたこともある。それでも熱を表現し続けた。その積み重ねの果てに、2022年のカタール大会があった。
今回、日本代表は優勝を目指すと公言している。その現実味を問うことに意味はない。どのような結果になろうとも、少なくとも筆者は、サッカーへの熱を精一杯表現しようと思う。血が沸き立つ感覚を、自分の中に探したい。



