キャリア・教育の現場で、強豪校の学生寮における深刻ないじめ問題が浮き彫りになっている。加害者の保護者が責任を学校に押し付けるケースが相次ぎ、寮や部活動の運営が学校にとってリスクでしかない実態が明らかになった。
問題の表面化と想定外の主張
問題が表面化した後、加害側の保護者が学校に持ち出したのは想定外の主張だった。学校側が対応に追われる中、保護者は「学校の管理責任が不十分だった」と主張し、責任を学校に転嫁する姿勢を見せたという。
寮が静かに減っている現象
冒頭で触れた「寮が静かに減っている」という現象の裏側には、こうした個別の判断の積み重ねがある。これは部活動の地域移行や合宿の見直しといった議論にも通底する論点だ。学校がこれまで「できる範囲」として引き受けてきたものの中に、本当に学校がやるべきこと、学校でしかできないこと、そして学校が抱え続けるにはリスクが大きすぎるもの――その仕分けが、いま静かに進行している。
全部学校から「線を引く学校」へ
寮、合宿、長時間部活動といった閉じた空間は、教育的な意義と引き換えに、極めて重い管理責任を学校に集積させてきた。そしてその責任の重さは、教員一人ひとりが深夜に駆けつけるという、個人の自己犠牲によって支えられてきた側面がある。
文部科学省の人事行政状況調査では、精神疾患による教員の病気休職者が7119人(令和5年度)と過去最多を更新し、令和6年度も7087人と高止まりが続いている(文部科学省 公立学校教職員の人事行政状況調査)。この数字の背景には、教室での生徒指導だけではなく、こうした「閉じた空間」での過剰な管理責任が含まれていると見るべきだろう。
学校が背負える範囲を見極める
「全部学校」という建て付けを維持したまま、現場の善意と体力に依存し続けるのか。それとも、責任の範囲そのものを学校として引き直すのか。寮が静かに減りつつあるという事実は、その問いに対して、現場がすでに一定の回答を出し始めていることを意味しているのかもしれない。学校が背負える範囲を見極めること――それは責任放棄ではなく、教育機関が本来の役割を持続させるための、避けて通れない作業になりつつある。



