小樽・オタモイ地蔵、昭和初期に徳源寺移転議論 研究者が新資料発見
小樽・オタモイ地蔵、昭和初期に寺移転議論

小樽市のオタモイ地蔵をめぐり、昭和初期に同市塩谷の徳源寺への移転が議論されていたことが、小樽商科大学の高野宏康客員研究員(52)の調査でわかった。オタモイ地蔵と徳源寺の成立には、江戸中期から明治期に小樽周辺で漁場を営んだ北前船主・住吉屋西川家が深く関わっており、両者の関連性が改めて裏付けられた形だ。

北前船主が建立した地蔵

オタモイ地蔵は、西川家が北前船の海難犠牲者を慰霊するため江戸時代以降に造立した100体の地蔵の一つとされる。明治中期からは「子宝地蔵」として全国各地から信仰を集めた。

1877年(明治10年)から網元の村上市三郎が堂守を務め、1924年(大正13年)に2代目市三郎が三男富治に管理を任せた。昭和初期に近くで「オタモイ遊園地」が開園すると参拝客が急増し、賽銭収入が飛躍的に増加。このタイミングで父市三郎は地蔵堂の管理を長男の三太郎に移したため、弟と父・兄で争うことになった。

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移転提案とその顛末

高野さんは知人の助言を得て、市立小樽図書館が所蔵する郷土史研究家・長野愚仏の資料を調査。愚仏が当時の関係者から聞き取りをまとめたノートから、富治が西川家の縁者・河合吉兵衛に解決を一任したことがわかった。河合は西川家とゆかりの深い徳源寺に地蔵を「返上する」ことを提案したが、市三郎は拒否。今度は寺に説得を依頼したが、当時の住職は病床にあり、結局移転は実現しなかった。

西川家が建立した地蔵は現在6体確認されており、オタモイ地蔵を除く5体は全て市内の寺院が管理。徳源寺も2022年まで桃内地区にあった地蔵を引き受けている。オタモイ地蔵についても例大祭後の講演会などに協力している。

現在の状況と今後の展望

オタモイ地蔵は現在、参道が崖崩れで通行禁止となり、事実上一般の参詣ができない状態。関係者は移転には慎重な立場で、地質学の専門家も地蔵堂自体が倒壊するような差し迫った危険はないとしている。

高野さんは「徳源寺はこれまでも善意でオタモイ地蔵を支援してくれていたが、関わることが歴史的にも必然性があることが裏付けられた」と話す。徳源寺の吉田敬徳住職(43)も「これだけお参りをしたいという方が多い地蔵は他にあまりない。西川家に関連のある寺として課題解決のための協力は惜しまない」との意を強くしている。

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