半世紀ぶりに姿を現した監禁施設
岡山県瀬戸内市の国立ハンセン病療養所「長島愛生園」で、かつて患者を監禁した「監房跡」が約50年ぶりに掘り起こされ、建物がほぼ原型を保っていることが確認された。この監房は国内のハンセン病療養所で最大規模とされ、国の強制隔離政策の象徴として実態解明が期待される。
監房の構造と歴史
掘り起こしを行った愛生園とNPO法人「ハンセン病療養所世界遺産登録推進協議会」によると、監房は1930年の開園時に建設された。鉄筋コンクリート造りで全長約22メートル、幅約4~5メートル。広さが4畳半ほどの独房など8部屋が直列に並び、高さ約3.4メートルの擁壁に囲まれている。
国内に13あるハンセン病療養所には、邑久光明園(岡山県)や菊池恵楓園(熊本県)などに監禁施設が残っているが、愛生園の監房跡は最大規模とされる。栗生楽泉園(群馬県)の特別病室(通称・重監房)も規模は大きかったが、現在は基礎部分のみが残る。
「懲戒検束権」による患者処罰
ハンセン病療養所では「懲戒検束権」という、減食や監禁といった処罰を患者に科す権限が施設トップの医師に認められていた。愛生園の入所者自治会が1982年に作成した記念誌「隔絶の里程」によると、1946~50年の約5年間でのべ158人が処分を受け、監禁された。日数の合計は1159日に及んだ。
処分理由は「逃走」が最も多く、「逃走未遂」「賭博」「飲酒暴行」などもあった。監禁日数は人によって異なり、正式な裁判や理由の説明はなかったとされる。
埋め立ての背景
監房は1953年に廃止された。同年、強制隔離などを定める法律の見直しを求める「らい予防法闘争」が全国の患者によって起こされた。他の多くの療養所で監禁施設が取り壊される中、愛生園でも患者から「監房跡を壊すか見えないようにしてほしい」との声が上がり、断続的に土砂がかけられた。1970年代には擁壁のごく一部を除いて土中に没し、その上に居住区画や道ができた。
世界遺産登録運動と調査
2017年ごろから、瀬戸内海にあるハンセン病療養所を世界文化遺産にする運動が始まった。愛生園では、入所者や市民らがつくったNPO法人「ハンセン病療養所世界遺産登録推進協議会」が監房跡の調査を開始。2021年以降、発掘作業が進められ、今回の成果に至った。
監房跡は国の強制隔離政策の負の遺産として、今後の保存・公開が検討される。



