国後島出身・大塚さん、亡き弟の思い胸に洋上慰霊へ
国後島出身・大塚さん、亡き弟の思い胸に洋上慰霊

北方領土の元島民らが船上から先祖を弔う「洋上慰霊」が、今年も25日に始まる。国後島出身の大塚小弥太さん(97)は、これまで弟の誠之助さんと参加してきたが、今年2月、誠之助さんは90歳で亡くなった。小弥太さんは弟の思いを胸に、交流船「えとぴりか」に乗り込む。

弟の人生は返還運動にささげられた

「弟は人生の全てを返還運動にささげた。今も近くにいるような気がする」。小弥太さんは札幌市の自宅で、誠之助さんをしのぶ。

誠之助さんは1935年、国後島南部の泊村に5人兄弟の末っ子として生まれた。父・安雄さんは村で唯一の商店を営んでいたほか、タラバガニの缶詰工場も経営していた。島は雪が少なく気候も穏やかで、三男の小弥太さん、誠之助さんたちは幼い頃、海岸沿いに自生していたハマナスの実を食べては赤くなった口の周りを見て、みんなで笑いあった。

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だが、穏やかな日々は長くは続かなかった。終戦後の45年9月2日、集落にソ連軍が現れた。侵攻から逃れるため、一家は真夜中に小舟に乗り込み50キロ先の別海町東部の走古丹(はしりこたん)を目指した。曽祖父の代から続く商店を手放し、故郷を失った悲しみに暮れながらも、「いつか島に帰れるかもしれない」と、網走や根室など国後島に近い土地を転々とした。

語り部としての活動

誠之助さんは10歳の頃に札幌へ引っ越し、札幌南高から早稲田大へ進んで卒業後に高校教員になった。道内の公立高で教える傍ら、23歳の時に返還運動に加わる。高校の後輩で、長年一緒に活動をした千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)の松本侑三理事長(85)は「勉強熱心で故郷への思いが熱く、誰もが慕っていた」と振り返る。

特に力を入れたのが、語り部活動だ。日本史教員の知識を生かし、日本とソ連が歩んだ歴史に沿って道内を訪れる修学旅行生らに自らの経験を伝えた。

千島連盟道央支部長の倉賀野弘行さん(70)は活動を始めたばかりの頃、誠之助さんから受けた助言を今も覚えている。準備した原稿を読むことに集中していると、「自分の言葉で故郷への思いを話した方が届くはずだよ」と声をかけられた。倉賀野さんは「一人一人が真剣に聞いてくれるようになり、表情が分かるようになった」と感謝する。

島で過ごした思い出

誠之助さんは昨年6月に体調を崩して入院する直前まで、札幌市内で定期的に開かれる北方領土のパネル展に足を運んだ。国後島の写真を食い入るように見ては、少年時代の思い出を懐かしそうに語った。

小弥太さんは「誠之助の分も」とこれからも返還運動に身をささげる。蛍火の輝きに心躍らせた夏、結氷した泊湾に手製のそりを滑らせた冬――。目に浮かぶのは楽しかった島の暮らしだ。洋上慰霊では、故郷の土が踏めない悔しさを口に出すことはしない。いつも思い出の隣にいた弟に向け、船上から静かに手を合わせるつもりだ。

上空慰霊で高齢者の負担軽減へ

洋上慰霊は、ロシアのウクライナ侵略の影響で墓参事業が中断された2022年に代替的に始まり、今年で5回目となる。9月3日まで計6回行われるほか、チャーター機からの上空慰霊も予定される。

上空慰霊を実施する背景には、高齢化した元島民の負担を軽減する狙いがある。千島連盟の調べによると、元島民の平均年齢は昨年12月、初めて90歳を超えた。元島民は今年3月末時点で4785人で、終戦時(1945年8月)の約3割まで減少している。

松本理事長は「北方領土への熱い思いを持つ方々の体験を残し、継承することが一番の課題だ」と話す。

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