太平洋戦争末期に岐阜市を襲った岐阜空襲から81年。9歳の時に空襲に遭った平光美那子さん(90)は、7人家族のうち自身以外の6人を亡くした。母の最期の声は、子どもたちを抱えながら振り絞った「子守歌」だった。当時の体験談を、朗読と絵で分かりやすく伝える取り組みが行われている。
朗読と絵で伝える戦争の恐ろしさ
朗読を行うのは、戦時の資料の収集、経験者からの報告を伝える目的で設立された団体「岐阜空襲を記録する会」。「岐阜市平和資料室」(岐阜市橋本町)で展示する資料を作成・提供するほか、小中学校で児童・生徒に平和の尊さを訴える平和講座も展開している。平光さんの体験談の朗読を約2年前から始めた。
炎の中で聞こえた母の子守歌
平光さんは7人家族の長女で、一番下の弟が生後わずか4か月の時に空襲に遭った。子どもが幼かったことから全員で走って逃げることが難しく、次々と落とされる焼夷弾によって、炎に囲まれた。赤ちゃんを背負っていた母親のはんてんにも火がつき、父親が防火水槽の水をバケツでくんで、子どもたちの頭にかける。そんな極限状態の中、母が、我が子に向けて子守歌を歌う声が聞こえてきたという。
「♪ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな」
平光さんも高齢になり、様々な場所に赴くことが厳しい。効果的に戦争の恐ろしさを伝えるため、朗読にたどり着いたという。小中学校の平和講座では、元アナウンサーの浅井彰子さん(69)が朗読し、イラストレーターの林智子さん(60)が作成したイラストを投影する。反響は大きく、多くの学校から平和講座の依頼が来るようになった。平光さんも朗読の場に訪れ「こうやって伝えてくれるなんて」と喜んだという。
今後も語り継ぐ予定
同会では、今後も平光さんの体験談を朗読と絵によって語り継ぐ予定だ。同会の学芸員・中島裕子さん(64)は「記録を伝えることも大事だが、まずは『戦争が恐ろしい』とわかってもらえるよう、続けていきたい」と力を込めた。
岐阜空襲は、1945年7月9日午後11時頃、米軍の爆撃機B29が岐阜市に来襲。1万発以上の焼夷弾が市街地に落とされ、約900人が犠牲となった。



