パロディー小説や大衆芸能の評論で知られる作家の小林信彦(こばやし・のぶひこ)さんが19日、多臓器不全のため東京都内の病院で亡くなった。93歳だった。葬儀は近親者で行い、喪主は長女の佐々木眞理さんが務めた。
大衆文化に親しんだ幼少期と文筆活動の原点
小林さんは東京・日本橋のしにせ和菓子店に生まれ、幼少時から映画や寄席、軽演劇など、下町に花開いた大衆文化に親しんだ。12歳の時、疎開先で終戦を迎え、実家は東京大空襲で焼けたことなどが、後の文筆活動の原点になった。
早稲田大を卒業後、「ヒッチコック・マガジン」誌編集長などを経て著述業に。「中原弓彦」の筆名で映画・演劇の評論を、本名で「オヨヨ」シリーズなどの小説を書いた。中原名での「日本の喜劇人」は、エノケン(榎本健一)、ロッパ(古川緑波)らに始まる日本の喜劇人の特質を批評する前例のない本で、73年に芸術選奨新人賞を受賞。晩年まで加筆修正を続けた。
放送作家としての活動と独自の評伝
60年代には放送作家としてテレビの発展期にかかわり、独特の鑑識眼で渥美清らの才能にいち早く着目。「おかしな男 渥美清」「天才伝説 横山やすし」など、後年独自の評伝に描いた。
70年代後半からの「唐獅子株式会社」シリーズや、架空の米国人研究者が日本文化を珍妙に解釈する「ちはやふる奥の細道」など、私小説と対照的な笑いと仕掛けに満ちた小説でも人気を得た。
戦争を証言し、現代文化を論じ続けた晩年
一方、戦前・戦後と見続けた東京の変化そのものが、「私説東京繁盛記」ほかのエッセーや小説のテーマになった。「ぼくたちの好きな戦争」(86年)など戦中・戦後の時代を文学にしたてる面も。86~87年に朝日新聞に「極東セレナーデ」を連載した。
「一少年の観た〈聖戦〉」など、個人に即して戦争を証言する著述も多い。夏目漱石「坊つちやん」を同僚教師の目から書き直した小説「うらなり」で06年、菊池寛賞を受賞した。
2017年に脳梗塞を患い、闘病生活を著書「生還」で発表。それでも98年から21年まで続いた「週刊文春」誌の長寿コラム「本音を申せば」で、映画を楽しみ、新聞やテレビのニュースに一喜一憂する日々をつづり、現代文化の幅広い分野にわたる「目利き」ぶりを示した。