被爆81年の「長崎原爆の日」となった9日、長崎市の平和公園で営まれた平和祈念式典には、県内外から被爆者や遺族、関係者が訪れ、先立った家族や仲間をしのび、多くの犠牲者を悼んだ。各地で追悼行事も行われ、参加者らは被爆について次世代に語り継ぎ、核兵器のない平和な世界の実現へ歩みを進めることを誓った。
5歳で被爆、記憶に残る母の言葉
献花を終え、未来への思いを語る井手尾さん。5歳の時に爆心地から6キロで被爆した長崎市の井手尾弘さん(86)は、市民団体「長崎の証言の会」や被爆者団体「長崎原爆被災者協議会(被災協)」で若い世代へ自身の体験や戦争の悲惨さを訴えてきた。平和祈念式典では被災協を代表して献花を行い、戦争のない世界への思いを新たにした。
長崎市生まれ。81年前は父の実家があった現川で暮らしていた。8月9日、祖母と母の畑作業についていき、1人で遊んでいた。原爆が落ちた瞬間の記憶はない。ただ、母が「弘、危ない。こっち来んね」といい、石垣の近くへ連れていき、覆いかぶさってくれたのを覚えている。
原爆の威力、家族への影響
祖母は「近所に爆弾が落ちた」と勘違いした。原爆はそれくらい強力な威力だった。母からは後に「服がはぎとられるくらいの風を感じた」と聞いた。家に帰ると自宅の柱が5センチほどずれており、当時生後1か月で、布団の中にいた弟は吹き飛ばされていた。
長崎外国語短大を卒業後、電機会社への勤務を経て、中学校の英語教師になった。平和活動はしてこなかったが、「何かしないといけないという気持ちは心の中にあった」という。退職後の2007年、証言の会のメンバーと共に、英国で行われた平和活動へ参加したことが転機になった。



