地域医療50年の尾形直三郎さん、赤ひげ大賞功労賞を受賞「次代につなげるのが使命」
地域医療50年、尾形直三郎さんが赤ひげ大賞功労賞

栃木県矢板市で地域医療に50年携わってきた尾形クリニック会長の尾形直三郎さん(81)が、現場で尽力する医師を顕彰する「日本医師会 赤ひげ大賞」功労賞を受賞した。「これまで歩んできた道を認めていただき感謝しかない」と話す尾形さんに、これまでの歩みと地域医療への思いを聞いた。

長兄の死を機に実家の医院を継ぐ

開業して50年、医師になって56年。正直、これほど長く医療に携わるとはまったく予想もしていなかった。何とか続けてこられたのは、ひとえに多くの方々の支えがあったからだと思っています。

尾形さんは現在の塩谷町で、5人兄弟の3男として生まれた。父は軍医で戦後は部下を連れて高原山麓の開拓に入り、肥沃とはいえない土地でジャガイモや大根を作り、何とか生計を立てる日々だった。その後父は塩谷町(当時の玉生村)で医院を開業。同時に町内の鉱山の嘱託医も務めながら家族を養ってくれた。

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そんな父や10歳上の長兄が医師であったこともあり、自然と同じ道を選んだ。大学では当時まだ先駆的な医療だった人工透析医療に従事。将来は都会の病院で外科医、特に血管外科や血液透析の専門医として勤務することになるだろうと思っていた。実家の医院は長兄が継ぐものと考えていたから、田舎に戻って開業するという選択肢は当時の自分の中にはまったくなかった。

二足のわらじで地域医療に専念

しかし、運命は思いがけない方向で動き出す。父の跡を継ぐはずだった長兄が体調を崩し、一時的に大学を休んで実家の手伝いに戻ることに。その後長兄は亡くなり、実家の医院を継ぐことになった。昭和51年、31歳だった。まさに逃れられない宿命のようなものだった。

それからはもう無我夢中で地域医療の現場に飛び込み、診療を続けた。当時の生活は今振り返っても壮絶なものだった。午前中は矢板市で血液透析診療、午後は隣の塩谷町で総合診療を行う「二足のわらじ」。ときには往診で1日約70キロの距離を車で走ることも度々。若さゆえにできたことだった。

そのうち、那須や日光などの遠方からも患者さんが通ってくださるようになったため、昭和59年にアクセスのよい現在の場所に診療所を移した。若さと情熱を武器に、それまでの拠点を守りつつも「新たな地でゼロからやってみたい」という思いもあった。5年後には有床診療所を建て、この地域では初となる病棟を持つ透析医療も導入し、透析も含めた「総合診療医」として地域医療に専念した。大学時代に学んだ専門知識が、結果として地域の医療ニーズに応え、多くの患者さんの助けになったことは非常に大きな意義があったと思っている。

「地域医療を次世代につなぐのが最後の使命」

現在、地域医療を取り巻く環境は非常に厳しい局面を迎えている。深刻な人口減少や高齢化に加えて「消滅可能性自治体」という言葉に象徴される地域の衰退。地域医療崩壊の危機にあると感じ、不安は尽きない。かつてのにぎわいを知る者として、将来が見えないという理由で若者が地域に帰ってこない現状には胸が痛む。

だからこそ地域医療を次世代につないでいくことが、最後の使命だと思っている。残された人生、これまで支えてくれた地域のために医療を通じて少しでも恩返ししていきたいと考えている。

尾形直三郎さんは昭和20年、栃木県塩谷町生まれ。宇都宮高を卒業後、東京医科大に進学。外科医局を経て、51年から実家の尾形医院(塩谷町)の院長。59年、矢板市に尾形クリニックを開院。63年に同クリニックを新築移転。院長を譲り現在は会長。今年、「第14回あかひげ大賞」功労賞を受賞した。

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