中世武士は陣形を使わず個人プレーで戦っていた…『太平記』の記述は脚色だった
中世武士は陣形を使わず個人プレーで戦っていた

中世の武士は陣形を用いて戦っていたという一般的なイメージは、実際の歴史とは異なる可能性が高い。国際日本文化研究センター准教授の呉座勇一氏は、著書『軍師の日本史』(角川新書)で、当時の武士たちが陣形を組まず、個人プレーで戦っていた実態を明らかにしている。

軍記物に描かれた陣形は脚色だった

歴史研究家の乃至政彦氏は、『保元物語』や『平家物語』に魚鱗の陣や鶴翼の陣の記述があることから、12世紀後半には武士が陣形を用いていた可能性を指摘する。しかし呉座氏は、これらの軍記物は後代に成立したものであり、作者が当時の実情を正確に把握していたか疑わしいと指摘。さらに文学的脚色の可能性も否定できないという。

魚鱗の陣や鶴翼の陣は、中国の政治書『帝範』などに見られる概念であり、日本の軍記物に登場するのは中国兵法書の知識を借用した結果だと考えられる。

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『太平記』の記述も信用できない

同様の問題は、南北朝時代の軍記物『太平記』にも当てはまる。『太平記』には「魚鱗」「鶴翼」の陣形が頻繁に登場し、さらに中国の兵法書『六韜』に見られる「鳥雲の陣」も登場する。これらの記述を信じれば、南北朝時代の武士たちは中国の兵法書を学び、その知識に基づいて陣形を組んでいたことになる。

しかし呉座氏は、『太平記』の作者が中国兵法書の知識を利用して脚色した可能性が高いと主張。当時の軍隊は小規模な武士団が多数含まれており、実際には隊列を組むこともなく、それぞれが周囲を出し抜いて手柄を立てようとしていたという。

陣形を使わなかった理由

なぜ中世の武士たちは陣形を使わなかったのか。その理由として、武士団の構成が挙げられる。一家の兵力は惣領(そうりょう)とその弟、そして若党(わかとう)で構成されており、騎兵と歩兵が混在していた。このような混成部隊では、統率のとれた陣形を組むことは難しかったと考えられる。

また、武士個人の名誉や手柄が重視された社会では、陣形に従って行動するよりも、各自が敵将を討ち取るなどして功績を挙げることが優先された。その結果、組織的な戦術よりも個人技量に依存する戦い方が主流となったのである。

呉座氏は、中世武士の戦い方を理解するには、後世の創作や中国兵法書の影響を受けていない史料を精査する必要があると強調している。

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