連載「忘れない あなたを 被爆81年」 原爆で犠牲になった子ども3万8千人以上 一人ひとりの命の記録を追う
連載「忘れない あなたを 被爆81年」 原爆で犠牲になった子ども3万8千人以上 一人ひとりの命の記録を追う

1945年8月、広島と長崎に投下された原爆で、3万8千人以上の子どもが同じ年の末までに亡くなった。この連載は、彼らが被爆の瞬間までどのように生きたのかを、遺族の証言や写真からたどる。

掲載する写真は、遺族や国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、学校法人純心女子学園(長崎市)、旧制長崎県立瓊浦中学校第25回生同窓会の提供。一部は早稲田大学理工学術院の石川博教授の研究室が開発した人工知能(AI)技術と、遺族の色の記憶に基づき、核兵器の非人道性を伝えるためにカラー化されている。

「行って参ります」 13歳の姉の生きた証

「行って参ります」。元気に家を出た13歳の姉は、二度と戻らなかった。60年後、見知らぬ男性が妹を訪ね、姉の「生きた証」を差し出した。

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また、明るくて家族の人気者だった12歳の妹は、亡くなる前日の日記に「今日は大へんよい日でした」と書いていた。彼女が欲しがったミカンを、母はその後一生食べなかった。

「ずる休みはだめ」 母の悔いは娘に受け継がれた

8月6日の朝、「ずる休みはだめ」と言って13歳の息子を学校へ送り出した母。息子は帰らなかった。母は亡くなるまで「私が殺した」と悔やみ続け、その思いは娘に受け継がれた。

同じように、跡継ぎとして期待していた息子を無理に学校へ行かせたことを後悔する父親の記録もある。その日を境に姿を消した息子を連日探し続けた父が手にしたものとは。

無傷だった15歳 「スイカが食べたい」

南部光代さん(15歳)は爆心地から近い場所で被爆したが、無傷だった。しかし避難先で衰弱し、「スイカが食べたい」と話した。光代さんのために弟は遠くの農家へ向かった。

級友の顔写真が収められた冊子を手に取ると、あのころがよみがえるという。時が止まったままの級友たちに、94歳になった男性はいまも思いを寄せている。

長崎純心高等女学校 213人の犠牲と継承

長崎では213人が犠牲となった長崎純心高等女学校がある。原爆投下から11年後に発刊された「殉難の記録」は、代々受け継がれ、今の生徒たちに平和の尊さを伝えている。

この連載は全10回で、第1回「未来を信じて12歳で逝った娘」と第2回「見知らぬ男性救い、13歳で逝った姉」が2026年8月1日に公開された。

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