AIでは得られない常識を塗り替える発見と新しい文体の創造…先人たちの言葉
AIでは得られない常識を塗り替える発見と新しい文体…

折にふれ思い返してきたので記憶は鮮明だが、気がついたら四半世紀以上もたっている。日本人初のノーベル生理学・医学賞を受けた利根川進さんが、この夏86歳で亡くなり、あの日々がよみがえってきた。

中上健次さんの言葉

いちばん若い頃の記憶は1991年5月、初めて出た文学賞の記者会見だ。第4回三島由紀夫賞は、高校を中退し電気工となった少年を描く佐伯一麦さんの私小説「ア・ルース・ボーイ」が選ばれ、会見には大江健三郎さんら5人の選考委員を代表して中上健次さんが登壇した。本作については、作家のデビュー作以来の小説を読み込んだ先輩記者が、自身の過去作からの引用が多すぎでは、と発表直後に指摘をしていた。

どんな会見になるのか。固唾をのんでいると、戦後生まれで初めて芥川賞を受けた中上さんは機先を制するかのように、「みなさんから質問が出ると思うけれど、同じエピソードを何回も書くのは、トラウマ(精神的外傷)を抱えている作家にとっては当たり前。むしろプラスでは」と記者を説得するように語り、こう続けた。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

「僕だって自殺した異父兄のことを(芥川賞受賞作)『岬』や『枯木灘』などで繰り返し書き、44歳になった今だって書きたい。書いたって書いたって、わかりませんよ。でも、年を取るに従って、意味は新しくなり、別の局面が見えてくるんです」

長い時間をかけて自分の奥にあるものに目を凝らし、文学を磨く。その持続する精神に背筋が伸びた。

立花隆さんのあいさつ

1か月半後の贈呈式では、三島賞と同時に新潮学芸賞の授与も行われた。受賞作はジャーナリスト立花隆さんが、利根川さんの歩みと研究成果にインタビューで迫る『精神と物質』で、式典での立花さんのあいさつは強烈だった。

「専門家から『100年に1度』と評価された大研究は難しく、はじめは受賞論文を読んでもさっぱりわからず、呆然としたが、分子生物学や免疫学の文献を山ほど買い込み、必死に勉強してから渡米、20時間インタビューした」という。さらに「内容を普通の人にわかるようにするため苦労し、書き上げるのに1年半かかった」と振り返った。

そうして受賞作では、「何億年にもわたる偶然の積み重ね」によってつくられる生物の世界は、「頭がよければわかるというもんじゃない。結局、運とセンスだろうね」という率直な発言も引き出している。トコトンわかるということ、わかったことをわかりやすく伝えることがいかに大変か、当時のメモ帳を読み返し、改めて思う。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ