注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて“テレビ屋”と呼び、作り手の素顔を通して番組の面白さを探る連載インタビュー「テレビ屋の声」。今回の“テレビ屋”は、読売テレビの汐口武史氏だ。
多ジャンルを横断するキャリア
バラエティ、ドラマ、メガヒットアニメ『名探偵コナン』とテレビの中のジャンルを超えるだけにとどまらず、縦型ショートドラマ、漫画、AIドラマなどメディアを超えて新領域の開拓に取り組む同氏。その中で共通するのは、「今日初めて見る人がいる」という感覚、そして“教科書1ページ目”を作る意識だった。
プロフィール
汐口武史は1984年生まれ、兵庫県出身。京都大学卒業後、2007年に読売テレビ放送へ入社し、大阪制作で『週刊えみぃSHOW』『ytv新人漫才賞』などを担当。その後、東京制作でドラマ『黒い十人の女』などをプロデュースし、『シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う。』などで演出も手がける。ドラマ制作と並行して『ダウンタウンDX』のディレクターも務めた。アニメ『名探偵コナン』ではテレビシリーズと劇場版に携わり、ytvメディアデザインに出向して縦型ショートドラマ、漫画、AI映像など新たなコンテンツ領域を開拓。2026年6月から読売テレビに帰任し、ドラマ制作を担当している。
上沼恵美子が「VTR面白かったよ」と言って立ち去った
――当連載に前回登場したAI映像クリエイターの宮城明弘さんが、「バラエティもドラマも『コナン』もやって、何をやってもうまくいくんじゃないかという感じのある人で、面白い要素を入れるのがとても上手です」とメッセージを頂きました。
宮城さんとは、まだ1年ぐらいの付き合いなんです。生成AIで制作したSFショートドラマ『サヨナラ港区』で初めてご一緒したんですけど、その前に知人に紹介してもらって「すごいものを作るな」と思って、一緒にお仕事することになりました。
――『サヨナラ港区』の話は後ほど改めて伺いたいと思います。テレビ業界はどのような経緯で目指したのですか?
お笑いが好きで、放送作家になりたかったんです。高須光聖さんが自分のウェブサイトでいろんな作家さんやテレビマンと対談をやっていて、それを見て「こういう人たちがいるんだ!」と思いました。でも作家になるのは大変だと知って、意外とテレビ局に入るほうがルートとしては近いんじゃないかと思ったんです。
――バラエティ志望で読売テレビに入り、最初から制作に配属されたのですか?
大阪の制作に配属されて、上沼恵美子さんの番組を担当しました。当時はまだ『週刊えみぃSHOW』をやっていて、そこから『愛の修羅バラ!』、今やっている『上沼・高田のクギズケ!』と、上沼さんと長くご一緒しました。それに加えて、『ytv漫才新人賞』などのネタ番組や、NGK(なんばグランド花月)で吉本新喜劇の座長さんたちと一緒に台本を作って月1回公演する舞台もやりました。当時は川畑泰史さんや小籔千豊さんが座長の時期で、やっぱりお笑いをやりたかったというのが基本にあります。
――上沼さんの番組では、やはりスタッフとして鍛えられた感覚はありますか?
そうですね。僕が初めてちゃんと打ち合わせをしたタレントさんが上沼恵美子さんなんです。スタートがそこなので、それが基本だと思って育っています(笑)初めて自分が作ったVTRをスタジオで出した時、それがまあまあウケたんです。収録後、スタッフが並んでいるところに上沼さんがわざわざ来てくださって、「VTR面白かったよ」と言って立ち去っていかれた。それで周りや会社の面々の見る目が変わって、すごく助けられました。
ドラマへの挑戦と『ダウンタウンDX』兼務
――バラエティを経て、その後ドラマも担当されました。
先ほど話した吉本の座長さんと舞台をやるようになって、脚本を作ったり、お芝居をやったりするのが楽しいなと思ったんです。そこで「ドラマというのもあるな」と思うようになって、東京に異動してから担当することになりました。もともとお笑いが好きで、コントをやりたいと思っていたんですけど、当時、スタジオで時間をかけてコント番組を作るというのはなかなかできない。でもドラマなら、時間をかけてコントのように作り込んだものができるなと思ったんです。
――最初にプロデュースした作品はなんですか?
完全に一人でプロデューサーを担当したものとしては、木村佳乃さん主演の『ぼくのいのち』というスペシャルドラマです。2本目が連ドラで、バカリズムさん脚本の『黒い十人の女』でした。『黒い十人の女』は、ロングコントみたいなところもあったので、自分がやりたかったことに近いところに行けた感覚がありました。そこから、恋愛ドラマやラブコメのようなジャンルも楽しいなと思うようになりましたね。2年ぐらいドラマのプロデューサーをやって、監督もやるようになって、「ドラマはしんどいけど楽しいな」という感じでした。
ダウンタウン 番宣アテンドと思いきやガッツリ打ち合わせ
――その頃は、ドラマ専属だったのですか?
正確に言うと、バラエティを7年やって、そこからドラマを7年やるんですが、そのうち4年は『ダウンタウンDX』と兼務していました。よく分からないですよね(笑)ドラマは年中撮っているわけではないので、1年の中でそんなに忙しくない時期があるんです。そんな中で、僕が『恋がヘタでも生きてます』で初監督をやった後、上長と飲んだ帰りに「今週金曜空いてるか?」と言われて、『DX』の会議に呼ばれたんです。「外から見て思うことを言ってくれ」と。翌週には「木曜空いてるか? 1回収録見といた方がええやろ」と言われて、収録を見に行きました。スタジオの前室で「こんな感じでやってるんだ」と思いながら見ていたら電話がかかってきて、(収録スタジオの)TMCの入り口にあった「今昔庵(※喫茶店)に来い」と言われて行ってみたら、浜田(雅功)さんがいたんです。そこで「こいつ新しくスタッフになったんです」と紹介され、松本(人志)さんのところにも行って、「こいつはずっとバラエティをやっていて、ドラマに行ったけど、またバラエティに戻ってきました」って。え、そうなの?と思いましたよ(笑)。そこから、ドラマがない時期は『ダウンタウンDX』を一ディレクターとしてやるようになりました。
――ドラマと『DX』を行き来していたんですね。
「そろそろドラマの撮影が近いので離れます」と言ってドラマをやっていると、最終話を撮る頃に「いつの収録から戻れる?」と連絡が来る。そこから「じゃあこの回担当ね」となる。それが4年ぐらい続きました(笑)もともとバラエティもやりたいし、バラエティの特番もちょこちょこやっていたので、両方できるのはいいなと思いましたね。それに、ドラマの番宣で出演者を『DX』に連れて行って、収録当日は自分が『DX』側のディレクターとして「オープニングなんですけど、この人がしゃべって…」って打ち合わせをすることもありました(笑)
――『DX』といえば、この業界を志した高須光聖さんもいらっしゃいますよね。
会議に行くと、高須さんに、倉本美津留さん、かわら長介さん、木村祐一さん、山名宏和さんというメンバーがガーッと並んでるんです。すごく勉強になりました。
――ドラマとバラエティを同時期にやることで、クリエイティブ面に生きたことはありますか?
もともとバラエティの人間なので、バラエティの編集リズムが体にあります。だから、ドラマに行く前は、ドラマに対して違和感があったんです。何もしゃべっていない顔をずっと見せるとか、ゆったりしているなというイメージがあったので。でも、そこでやっているとドラマのリズムに染まっていくんですね。それでもたまにふと「同じ1時間の番組」として見た時、ドラマの1時間の情報量と『ダウンタウンDX』の1時間の情報量を比べると、「ドラマのほうももう少し詰め込んだ方がいいのかな」と考えて、意識するようになったかもしれません。



