人口2万の益子町に160の窯元と50軒の陶器店、月末に陶器市開催
人口2万の益子町に160の窯元と50軒の陶器店、月末に陶器市

栃木県益子町は、人口約2万人の町に約160の窯元と約50軒の陶器店が集まる「焼き物の里」として知られる。江戸時代末期に始まった歴史を持ち、茨城県笠間市と並び関東の二大焼き物産地として発展してきた。今月末から開催される町最大のイベント「益子陶器市」を前に、現地を訪ねて益子焼の魅力を探った。

「用の美」を広めた濱田庄司

益子町で焼き物が始まったのは江戸時代末期。製陶に適した土が見つかり、当初は鉢や水がめ、土瓶といった日用の道具が作られていた。この焼き物を美術品の域に引き上げたのが、陶芸家で人間国宝(重要無形文化財保持者)の濱田庄司(1894~1978)だ。

濱田は大正13年に益子へ移住し、柳宗悦(1889~1961)らと「民芸運動」を提唱。日常の器に宿る美しさを「用の美」として称え、素朴で力強く温かみのある作品は益子焼を全国区へと押し上げた。笠間市とは兄弟産地「かさましこ」として日本遺産に認定されている。

素朴で飾らない味わい

真岡鉄道真岡線の益子駅から東に続く城内坂通りが街のメインストリート。緩やかな坂道の両側に陶器店が並ぶ。陶器店のスタッフによると、益子焼の魅力は「素朴で飾らない味わい」だという。

基本となる色は伝統的な釉薬から生まれる。濱田の作品にも多用され、益子焼の代名詞ともいえるのが渋みのある茶褐色の「柿釉(かきゆう)」、深みと美しい艶をもつ黒の「黒釉(こくゆう)」だ。益子で採れる陶土は砂気が多く鉄分が豊富な一方、粘り気が少なく薄く繊細な形に仕上げるのが難しい。おのずと肉厚な器になるが、手に取るとぬくもりを感じ、驚くほど手になじむという。