柔道家・山下泰裕氏は、1980年のモスクワ五輪ボイコットとその後の骨折という、自身の力ではどうにもできない現実を経験した。この経験から、次の五輪を見据えるのではなく、目の前の一試合一試合に集中することを決意。心身の変化や様々な体験を通じて、一つの思いが形を取った時期でもあったと振り返る。
復帰後の世界選手権で前人未到の2冠
復帰後、1981年のオランダ世界選手権では、95キロ超級と無差別の2階級に出場。全ての試合で一本勝ちを収め、前人未到の2冠を達成した。人生で一番と言えるほど充実した内容だったが、驚いたことに1日で5キロも体重が減ったという。
欧州王者と対戦した無差別級の決勝前、いつものように試合展開を予想したが、どんな形になっても自分が勝つ、負ける要素がないという結論に達した。すると急に不安になった。もう一人の自分が「相手を甘く見ている。勝負に絶対はないはずじゃないか」とささやく。不安がないことが不安になったのだ。
「不安がないことが不安」から学んだ教訓
試合は一本勝ちだったが、この経験から「勝負で不安がなくなることはない」と学んだ。ここ一番の試合ほどプレッシャーや不安があるのは当然であり、それは悪いことではないと気付いた。それ以降、山下氏はプレッシャーと戦わなくなった。「もっと緊張してもいい、だってこのために今までやってきたんだから」と、プレッシャーを受け入れることができるようになった。
柔道人生の中で一番プレッシャーがあったのは1984年のロサンゼルス五輪だが、この時の心構えが五輪本番での精神面にもつながったという。



