フィギュアスケートの羽生結弦選手も惹かれたという、20世紀ルーマニアの哲学者エミール・シオラン。その「絶望の哲学者」とも称される思想は、一見ネガティブでありながら、なぜ現代人の心に深く刺さるのか。著書『生まれるのも生きていくのもめんどくさい!超訳シオランの言葉』の紹介者・済東鉄腸氏が、その魅力を語る。
負の感情をシャツのように着替える
済東氏は、シオランの言葉に衝撃を受けたエピソードを明かす。「そんなヤバいモノをシャツのように取り替える!? 朝とか夜とかに汚れた服を着替えるみたいなノリで!? ……あまりにも衝撃だった」。確かにシオランは、凄まじい絶望を濃密に語るかと思えば、次の言葉ではそれを全部忘れたように、「遅刻したやつは死刑だろ」などと言い出し、負の感情に節操がないように見える。しかし、それでもこの呟きを読んで、「もしかしたらそういうことも可能なのかもしれない」と少しだけ思えたという。
その瞬間、どこかで気が楽になった。前よりは一つの負の感情にこだわることが減った。「このシャツ、さすがにもう汗臭いから洗濯機にブチ込もうって感じで、軽やかにそれを脱ぎ捨て次の感情に行くことができるようになった」。逆に、それでも長くこだわっちゃう感情は「オキニのシャツ」と言えるかもしれない。ちなみに紹介者の「オキニ」は、「自分にはできない!」という無力感だという。負の感情とは、こんな軽やかな付き合い方もあるのだ。
「バズらない人」こそがこの世界の良心
シオランの超訳『バズらない人はいい人です』。逐語訳では「内気で、行動力のない善は自分を広めることができない。一方で悪はそれよりはるかに熱心で、自らを広めるのに成功する」とある。
済東氏によれば、シオランは「何かを成し遂げたとか成功させた」よりも、「何かを成し遂げられなかったとか失敗したこと」こそを評価する傾向にある。挫折や、そもそも何かをやろうとすらしないことは、むしろ美徳を育んでくれる、くらいのことを言う。そもそも「生まれないことこそが最善」と言うのだから、考え方は一貫している。
SNS時代と真逆の価値観
この呟きでも、シオランはバンバン自分を積極的に売りこむ人たちを悪人と見なし、ぐうたらで自己宣伝するのも怠けてる人こそが善人と評している。今は何が何でも注目を得てマネタイズできれば尊敬される「アテンション・エコノミー」という時代だが、その価値観とは真逆である。
済東氏は、シオランが今のSNSを眺めたなら、「自分の人生をいい感じに見せたりするインフルエンサーやら、社会的事件にいっちょがみして賢く見せたがる知識人気取りやら、そういうバズ狙いが大手を振ってる状況をクソミソに皮肉るだろう」と想像する。
シオランの思想は、現代の承認欲求や自己ブランディングに疲れた人々にとって、むしろ新鮮で救いとなる。ネガティブなのに心に響くのは、その徹底した逆張りが、私たちの内なる「頑張らなくていい」という声を代弁しているからかもしれない。



