フィギュアスケートの頂点に立ち、今なお世界中の人々を魅了し続ける羽生結弦さん。彼の影響で、長らく一部の愛読者だけに愛される存在だったルーマニアの思想家が密かなブームを呼んでいる。エミール・シオラン。「生まれてこなければよかった」と極端な言葉を残した、「反出生主義」の思想家だ。羽生さんが自身のアイスショーの参考にしたとして、シオランの著作『生誕の災厄』を紹介したことがきっかけで大きな注目を集めると、難解で知られる著作が相次いで重版されるなど、日本でのシオラン再評価のきっかけの1つとなったのである。
なぜ羽生結弦はシオランに惹かれたのか
氷上で誰よりも美しく力強い演技を見せる世界的アスリートと、徹底した悲観主義者。一見すると両者は正反対の存在にも思える。しかし、その思想は絶望へ沈むためではなく、「弱くていい」と認めることで、世の中の見方を変える知恵にもなる。失われた30年にあえぐ現代日本で支持を広げているのは偶然ではないだろう。
日本にいながらルーマニアで小説家デビューを果たし話題を呼んだ済東鉄腸氏が、シオランの数々の名言を思い切って現代風にアレンジして解説した本書から、『生誕の災厄』(紀伊國屋書店)に収録されている言葉たちの魅力を教えよう。
※本稿は『生まれるのも生きていくのもめんどくさい!超訳シオランの言葉』(済東鉄腸著)から、抜粋・編集してお届けします。以下に紹介するのは、日本語版の『生誕の災厄』からの引用ではなく、済東氏が独自に原著を解釈した言葉です。
午前三時の無間地獄から生まれた反出生主義
(画像:『生まれるのも生きていくのもめんどくさい!超訳シオランの言葉』)
超訳 午前三時かよ。考えちゃうよな、何で全部こんなクソみたいなことになっちゃってんの?って。そりゃ、生まれてきちゃったからだわ
逐語訳 午前三時。私は今この瞬間を感じ、そしてまた次の瞬間を感じながら、一分一分の貸借表を作っている。なぜこんなことが起こるのだろうか?――生まれたからだ。誕生について問うことは特別なタイプの不眠を生じさせる。
あなたは午前三時に広がるあの闇を見たことがあるだろうか? この世に存在する光を全部吸いこんでしまったかのような全き闇のことだ。午前三時という時間にはあの闇が世界を覆い尽くしてしまっている。そしてこんな闇の中にいると、時間は噛みかけのガムみたいにどこまでも伸びていって、そこには終わりなんか一切存在しないかのように思える。
「責任」という概念への痛烈な異議申し立て
シオランは「責任」という概念そのものに疑問を投げかける。彼によれば、人間は自ら望んで生まれてきたわけではないのに、社会は生まれた瞬間から「責任」を押し付ける。この矛盾こそが、人間の苦しみの根源の一つだとシオランは喝破した。済東氏はこの思想を「生まれたくて生まれたわけじゃないのに、なんで責任を負わなきゃいけないんだ?」という現代にも通じる問いとして提示する。
「生まれなかった自分」を想像する幸福
反出生主義は単なる悲観論ではない。シオランは「生まれなかった自分」を想像することで、かえって現在の自分を相対化し、生きる負担を軽くすることを提案する。羽生結弦さんがこの思想に共感したのも、完璧を求められるアスリートとしてのプレッシャーから解放される視点を得たからかもしれない。
シオランの著作が日本で再評価される背景には、長期化する経済停滞や社会の閉塞感があるとも言われる。しかし、その核心は「弱さを認める勇気」にある。決して絶望を推奨するのではなく、弱さを受け入れた先に新たな強さを見出す――それがシオラン哲学の真骨頂だ。



