朝ドラ「ブラッサム」のモデル宇野千代の伴侶・尾崎士郎の記念館を大森山王で訪ねる
朝ドラ「ブラッサム」のモデル宇野千代の伴侶・尾崎士郎の記念館を訪ねる

現在放送中のNHK連続テレビ小説「ブラッサム」で主人公のモデルとなっている作家・宇野千代の伴侶の1人だった尾崎士郎。大河小説「人生劇場」で知られるその足跡を、東京都大田区大森山王にある尾崎士郎記念館でたどった。

大森山王に残る尾崎士郎の記念館

大田区山王地区のジャーマン通りから少し坂を上ると、閑静な住宅街の一角に平屋の建物がある。徳富蘇峰の旧居跡の蘇峰公園にほど近い場所で、尾崎の記念館は平成20年に旧居を再現して公開された。

尾崎は明治31年、愛知県横須賀村(現在の西尾市)に生まれる。早大在学中には堺利彦や高畠素之らの売文社社員になるなど社会主義運動に傾倒し、除籍処分を受けた。大正12年から宇野千代と荏原郡馬込村で同居を始め、別居するまでの約5年間を2人で過ごした。

代表作「人生劇場」と千代の影響

昭和5年ごろに大森山王地区に落ち着き、都新聞に「人生劇場」(のちの青春篇)の連載を開始。刊行されると川端康成の賛辞を受け、ベストセラーとなった。「石田三成」など歴史長編小説や、「三等郵便局」「蜜柑の皮」などの短編も残した。戦時下には日本文学報国会の役員として活動し、のちに公職追放。戦後は横綱審議委員も務める好角家としても知られた。

代表作「人生劇場」の執筆には千代が一役買ったとの説がある。尾崎は当初、「政治青年」としての一時期があるだけに、硬派な作風だったという。同じ作家として「私小説」を書いていた千代に「『自分のことを書いてみたら』と勧められたという説もあるほどだ」と尾崎士郎記念館の黒崎力弥学芸員は解説する。

ユニークな人柄と文士村の風土

尾崎自身の人柄や個性にまつわる逸話も多い。正宗白鳥や、尾崎が師と慕う徳田秋声を論難した随想「枯淡の風格を排す」に憤慨し、著者の坂口安吾に決闘を申し込んだり、自宅の石灯籠をほめた弟子の高橋義孝に持ち帰らせようとしたユニークな性格だった。保田与重郎は《人の志や態度をほめ、又決定する時に、比類ないあざやかさがある》と指摘し、《ある人は、尾崎はその作品より人がはるかに上だったといった》と回想している。水野成夫は《謂わば芳醇な酒であった。彼の在るところ必ず一種の雰囲気が醸成された》と評した。尾崎はかつて長編小説執筆の骨法について《何よりも雰囲気をつくりあげてそこにあらはれる人間の動きを自由にさせねばならぬ》(「長篇小説の構成と技術」)と論じたことがある。

文士村と呼ばれる馬込に加え、大森山王までの地区は多くの作家、詩人らが居宅を構えたが、尾崎が先鞭をつけた節もある。「文士が集う風土があったのではないか」と黒崎学芸員はいい、「尾崎が移り住んだころ、小説家は『やくざな稼業』だった文士が芸術家に高まる時期。多くの政財界人が住んでいた地域に『気』を求めたのかもしれない」と続ける。

記念館の見どころと今後の取り組み

記念館では再現された仕事部屋の書斎や客間、多くの文学や歴史書が並ぶ書庫がのぞけ、自著や文壇の仲間と交わした献呈本を見ることができる。療養中だった尾崎を見舞う寄せ書きも見どころの一つで、俳優の宇津井健や作詞家の山口洋子らの名前が並び、広い交友関係が浮かぶ。

戦前に尾崎と千代が居を構えた馬込を中心とした地域は文士村として、これまで2人を取り上げる企画も催されてきた。大田区は「OMAISEN(おまいせん)PROJECT」の一環として、宇野千代と馬込文士村の魅力を発信すべく区の文化施設「大田文化の森」で特別展示が行われている。10月から馬込文士村アプリ「まごめぐり」もリリースし、日本文壇の足跡をたどれる企画も検討される。黒崎学芸員は「尾崎は人好きで、話好きな面があった。ドラマをきっかけに次世代の人にも興味をもっていただければ」と話している。