高松市・大島のハンセン病国立療養所「大島青松園」で暮らし、歌手としてCDを制作するなど音楽活動に力を注いだ東條高(とうじょう・たかし)さんが21日、死去した。96歳だった。大島で22、23日にお別れの式が営まれた。
80年にわたる大島での生活
東條さんは16歳の時に大島青松園に入所。80年にわたって大島で生活した。同園で吹奏楽団のクラリネットやトロンボーンを演奏したほか、コーラス隊に所属して賛美歌を合唱。鍛えた歌声を公演で披露した。
1980年代にカラオケが流行すると、妻の康江さん(2015年に死去)と一緒に、各地の療養所で開かれた「カラオケ交歓会」に参加した。
歌手・沢知恵さんとの交流とCD制作
長く交流を続けてきた歌手の沢知恵さん(55)は東條さんの歌声に魅了され、CDの制作を打診。東條さんは沢さんと協力して2003年に1枚目の賛美歌アルバム「生かされて」を制作。康江さんが亡くなった後の21年に2枚目の「この道」、今年4月に3枚目の「こころ」をつくった。
沢さんによると、「音楽があったから生きてこられたんや」と何度も口にしていたという。
沢知恵さんが語る東條さんの最期
沢さんは「最後まで歌い格好いい」と述べ、次のように語った。
「生後6か月から55年の付き合いかな。初対面の時の高さんは40歳くらい。音楽とキリスト教によって非常に濃密な関わりを持つことができました。高さんは壮絶な人生、つらい強制隔離の閉じ込められた人生ではありましたが、音楽や宗教によって日々前を向いて、楽しく、生活を豊かにして生きてこられた。心からの敬意を感じています」
「努力家でした。どんなことがあっても負けないぞと、立ち上がって前を向いている。そして今、浮かぶのは、彼の笑顔と朗らかでつややかな歌声。それを多くの人に残してくれたのはありがたいことです。彼はいなくなり、子どもを持つこともできなかった。でも、3枚のCDを残してくれた。歌声を残してくれたことは本当に大きなことだと思います」
「康江さん亡き後の10年を濃密に、共に歩めたのは本当に幸せでした。寂しいですけれども、笑顔で送ってあげたいです。空が明るく見えるんですよ、曇っていても高さんがいると思うので」
「最後に訪ねたのは、(亡くなる5日前の)9月16日。もう声が出なかったんですけど、大切な曲「こころ」を歌ったら、口をずっとその歌詞通りに動かしたんですよね。だから歌手・東條高が生涯で最後に歌ったのは「こころ」になりました。胸がいっぱいです」
「3枚目のCDのお披露目の日、東條さんは「命のある限り歌いたい」と言いました。その通りでした。だからベッドで、体が弱って声も出ないのに、最後の最後まで歌い通しました。見事です。私にはできないと思う。格好いい。天国には康江さんが待っています。また怒られながら、幸せに過ごしてください」