18日に亡くなった脚本家、倉本聰さんは、自分の筋を曲げない反骨の人だった。ときに周囲と衝突したが、そこから新たな作品も生まれた。2024年のインタビューではこう言い切った。「自分が面白くないと思うものを作るのは嫌です」
「北の国から」誕生の背景
転機になったのは東京からの移住だった。1974年、NHK大河ドラマの制作をめぐり放送局と衝突し、途中降板。悲壮な思いで北海道へ向かった。
戦後の「豊かさ」への疑問から、知識だけでなく知恵が頼りになる「開拓者のような暮らし」を志した。都会育ちの子どもをその環境に置いたらどうなるかという発想が、代表作「北の国から」につながった。81年に連続ドラマが放送されると大反響を呼び、登場人物の成長を追うスペシャル8本が2002年まで断続的に作られた。
東日本大震災後の活動
東日本大震災後は「脱原発」を訴え、13年に福島を舞台にした演劇の脚本を手掛けた。当時の取材に「地方は利用されるだけ利用されて、あとは『棄民』にされる。日本の図式を考えないと」と危機感を示していた。
人物描写でのこだわり
物事を批判的かつ多面的に捉える倉本さんのポリシーは、作品での人物描写にも現れていた。
インタビュー中、倉本さんは「北の国から’84夏」の、主人公の黒板五郎と長男・純によるラーメン店での一幕を例に、こんな話をしてくれた。
閉店間際。純が、自身が引き起こした火事の真相を告白した時。女性店員がラーメン丼を純の前から下げようとする。そこで五郎は「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!」と名ゼリフを吐く。
黒板家にとって重大な会話の最中であっても、目の前の出来事に丁寧に反応する五郎の姿が、倉本さんの人物描写へのこだわりを象徴している。