元娘婿サイモンが語るアントニオ猪木の最期:安らかな顔と晩年の人間関係
元娘婿サイモンが語るアントニオ猪木の最期

元・新日本プロレス社長で、アントニオ猪木の元娘婿であるサイモン・ケリー猪木氏が、猪木の晩年と最期の様子を語った。身内だからこそ知る、カリスマの意外な素顔とは。

ズッコ夫人による人間関係の管理

猪木が新しいマンションに移ってから、それまでズッコ夫人によって切り離されていた人々が徐々に戻ってきたという。最終的には、かつて裁判沙汰になった元IGF幹部も含め、多くの人に見守られ、仲違いを水に流し、誰からも愛される猪木として亡くなったとサイモン氏は振り返る。

「僕も含めていろんな人が猪木さんと連絡が取れなくなっていた時期、ズッコさんが猪木さんの携帯を取り上げていたらしいです。そうなると、猪木さんの人間関係は完全にズッコさんがコントロールする形になってしまう。猪木さんがよくてもズッコさんがダメと言ったらダメ、という状況でした」

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カリスマを支えるチームの重要性

アントニオ猪木は間違いなくカリスマだったが、カリスマも一人では生きられず、カリスマであり続けることはさらに難しい。優秀なブレーンや実務を支えるスタッフがいてこそ、カリスマは輝くのだとサイモン氏は実感したという。

「ごく少数の身内が周りを固めちゃうと、入ってくる情報は少なくなるし、偏ってしまう。IGF旗揚げ後の何年か、猪木さんが絶好調だった時期は、ズッコさんのバーで飲みながら、周りにスポンサーとか企業の社長さんとかいろんな人がいて、ワイワイやっているなかで面白い企画が出てくる感じでした。でも、そういう人たちは切られていってしまった」

甘井さんは仕事の話ができる人だったが、ズッコ夫人は好き嫌いで人を判断するタイプだったという。サイモン氏自身も猪木と近い関係で気楽に話せる存在として煙たがられ、2016年に寛子と離婚したことでさらに切られやすい立場になったと述べている。

猪木の晩年の変化

田鶴子夫人の介入でIGFとの関係が悪化していった猪木だが、サイモン氏はその時期の猪木に違和感を覚えていたという。

「スポーツ新聞や専門誌の記事で猪木さんのコメントを見ると、『何かおかしいな』という感じでした。これまでの猪木さんだったら物事を大きく捉えていたのに、考え方が小さくなっているなと。大きい夢を語るのが好きな人だったのに、小さいビジネスのことを気にしていた。違和感を覚えたし、残念でしたね」

また、ジェロム・レ・バンナの対戦相手に猪木が自ら立候補したエピソードも紹介されている。猪木は「ムチャなこと、普通じゃないことをやりたがる人」だったという。

安らかな最期

猪木が79歳で亡くなった際、健康であればあと数年、新たな体制で何かに取り組むこともできたかもしれないとサイモン氏は述懐する。最期は多くの人に見守られ、安らかな顔だったという。

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