歌手生活が50年を超えた三重県松阪市出身のあべ静江さん(74)は、デビュー7年で所属事務所から独立し、東京・渋谷のど真ん中にオフィスを構えた。女性への偏見と職業への信用の低さを知恵と行動で乗り越えた。あなたに贈る「みずいろの手紙」3回目は、今を生きる女性に「意思は自分の言葉で伝えよう」と呼びかけている。
銀行の融資を勝ち取った一計
1973年のデビュー曲「コーヒーショップで」がヒットし、続く「みずいろの手紙」も26万枚を売り上げた。日本レコード大賞新人賞に輝くと、紅白歌合戦出場も果たし、人気はうなぎ登り。俳優としても映画やテレビドラマに出演し、抜群の知名度を誇った。
そんな絶頂期の80年に独立し、翌年5月、渋谷にあるマンションの一室を新たなオフィスとして購入する計画を立てた。ところが、銀行は融資を渋った。自分が女性であることと、人気商売で不安定な仕事がネックになったと振り返る。
そこで一計を案じた。自分には信用がなくても、購入物件に相応の価値があればいい。返済不能になった時は現物で返せば済む。
あべさんは、銀行の担当者に向かって言った。
「物件が資産として成り立つかどうか、一緒に来て見てください。私の目よりも、あなたの方が見る目がある」
「その代わり、不動産会社が提示した金額が『高すぎる』とあなたが感じた時は、横からそっとアドバイスしてください」
当時30歳。契約と融資は無事に進んだ。あべさんが代表を務めるオフィス「バルシカ」は、今も同じマンションに居を構えている。
円満退社の裏側
お金にまつわる話が、もう一つある。
芸能事務所は所属タレントに先行投資する。「あべ静江」を売り出すため、宣伝費用などで大きなお金が動いたことは、あべさん自身、「金額など詳細は知らないが、明らかにあると分かった」。これをうやむやにすると後々、もめ事の元になる。芸能界に身を置き、肌でそう感じた。
独立に際して、所属事務所に「時間はかかるかもしれませんが、コツコツ返させてください」と頭を下げた。所属事務所も相談に応じた。「すごい額」を払い終えた時、経理担当の皆さんが「おめでとう」と祝ってくれたそうだ。「だから私は円満退社なの」と、いたずらっぽく笑う。
母から受け継いだ知恵と行動力
あべさんの知恵と行動力は、母・ひささん譲りなのかもしれない。
ひささんは戦時中、家族が営む商いの関係で、中学生の頃は中国の上海に渡っていたそうだ。現地の人に背後からピストルを向けられた経験もある。15歳で終戦。引き揚げの際には、宝石や家財のすべてを川に捨てた。「当局に私財を没収されるぐらいなら、人に持っていかれるぐらいなら……」と、渡航した仲間全員がそうやって心を一つにしたのだと、母から聞かされた。
82年10月から44年間、あべさんを支えてきたチーフマネジャーの古家千春さん(73)も、ひささんをよく知る。「世の中に怖いものなど何もないというような、常に堂々とした姿が印象的」と話し、その姿にあべさんを重ねる。
古家さんによれば、歌手やタレントは芸能事務所に所属し、用意された仕事をこなす方が楽だという。「あべは人に命令されるのが嫌いだ。自分が納得した仕事しかやらないという人。だから、独立してあえて一匹オオカミでいる」とあべさんの中に、母親の胆力を感じ取っている。
女性の地位と現代へのメッセージ
独立後、男女雇用機会均等法(86年施行)や男女共同参画社会基本法(99年同)ができ、女性の立場が尊重される社会が進んだとされる。
あべさんは「でも、言い換えれば、わざわざ法律に謳うということ自体が男女の格差の証明だ。自立、独立を言うこと自体、女性の地位が変わっていないということ。下にいるから上に行くの? それが嫌なのよね」とやんわりとくぎを刺した。
あべさんは「私は『生まれた時から運命が決まっている』みたいな考え方は冗談じゃないと思って生きてきたのね。だから独立というのもポンと飛び上がるぐらいの軽い気持ちでした。SNSが発達した現代は、自分の意思を自分の言葉で伝えていきやすい社会です。男女問わずの話ではあるけれどね」と語った。



