「これよりカムイ、クマ神様に祝意を込めて、サケを取り、ささげ奉らん――」
義太夫の抑揚の利いた節に合わせ、アイヌ文様があしらわれた衣服をまとった「あしりの神」が釣り糸を垂らす。ドンドンと太鼓が鳴り、勢いよくさおを振り上げると、糸の先には大きなサケが。「これは良きささげものが上がったわい、クマ神様もお喜び~」
「さっぽろ人形浄瑠璃あしり座」が上演する「祝い唄」は、淡路島や四国に伝わる「戎舞」を北海道らしくアレンジしたオリジナルの演目だ。座頭の矢吹英孝さん(58)は「分かりやすくて、観客も一緒になって楽しめるのがいい」と語る。
文楽人形2体が始まり
あしり座の結成は31年前。札幌市こども人形劇場こぐま座の姉妹館「札幌市こどもの劇場やまびこ座」(同市東区)が1988年に開館した際、記念に2体の文楽人形が寄贈されたのが始まりだった。
人形浄瑠璃は江戸時代に大坂で人気を博し、各地に広まった。だが、本州との交流が限られていた北海道に、その文化は根付かなかったという。道内に文楽人形を扱える人はおらず、2体の人形は長年飾られていただけだった。
転機は東京の家元
転機が訪れたのは94年。東京で活動する「八王子車人形西川古柳座」五代目家元の西川古柳さんが、2体の文楽人形のことを耳にし、指導役を買って出た。同年に市民を対象にした講座が開かれ、矢吹さんらが参加。1体の人形を3人で操る方法を一から学んだ。当時の受講者が中心となり、翌年にあしり座の前身となる研究会が発足した。
しかし、道のりは険しかった。メンバーは3か月に1度、西川さんを招いて指導を受け、自分たちの稽古では、撮影したビデオを見ながらひたすら反復練習を繰り返した。
「15年ほどでようやく形になり始めた」と矢吹さん。2011年には、義太夫の語りと三味線を学ぶ講座も開かれ、さらに技術を磨いた。演目が増えるに従い、道内外や国外で公演する機会も増え、公演は数十回を重ねる。
自由な発想で新たな挑戦
新たな挑戦として、13年に作ったのが「祝い唄」だ。「戎舞はめでたい演目。どうせなら明るく楽しいものを」と、神が釣り上げるものは公演の場所に合わせて毎回変える。函館公演では、名物のイカやハセガワストアのやきとり弁当を釣り上げた。
「歴史や伝統がないからこそ、余計なしがらみもない。自由に何にでも挑戦できるのがあしり座の強み」と矢吹さんは語る。
2作目のオリジナル演目となる「大黒屋光太夫ロシア漂流記」は、全五段からなる大作で、15年から4年間かけて作り上げた。嵐に巻き込まれて漂流し、ロシア船に助けられた江戸時代の船頭・光太夫らが日本に戻るまでの10年間を、史実に基づいて描く。
脚本や演出はもちろん、衣装や舞台美術も、全て座員と札幌市内の協力者で手がけた。観客に分かりやすくするため、義太夫の語りは現代語に近い表現にするなど、細部まで工夫を凝らしている。
「あしり」はアイヌ語で「新しい」を意味する。「自分たちの挑戦がいつか札幌の人形浄瑠璃の歴史になると信じて、これからも新しいことにどんどん挑戦していきたい」



