東京都江東区に住む八木初音さん(88)は、病気を抱えながら、江東区原爆被害者の会(江友会)で活動を続けている。東京で原爆展を開くなど、原爆について伝える活動をしてきた。家族を原爆で失っており、「核兵器をなくすのは難しいが、市民が草の根から訴えなければいけない」と話す。
被爆当日の記憶
八木さんは長崎市生まれ。城山国民学校1年生だったあの日、爆心地から4キロの西小島にあった親戚宅で被爆した。当時の記憶はない。竹の久保にあった自宅は全壊し、残ったのは風呂釜とひき臼だけだった。「しばらくは天井なしのお風呂に入っていた」と振り返る。
家族4人を失う
9人家族だったが、祖母や母ら家族4人が亡くなった。祖母と兄姉は、父と別の兄が火葬した。唯一覚えているのは、母が亡くなったことを知ったとき、泣き叫んだという記憶だけだ。
兄の手記が伝えるもの
別の兄の手記には、つらい出来事が記されていた。亡くなった兄が救護所で「家に帰りたい」と言っていたが、「ここの方がいいから」と帰ってきた。翌日見に行くと、兄が部屋の片隅に遺体で置かれていた。「一人で死んでいった兄がかわいそうで、今でも思い出すと胸が痛い」。そうつづられていた。



