広島市の平和記念資料館の70年にわたる歩みを追ったドキュメンタリー映画「原爆資料館 語り継ぐものたち」が全国公開された。地元放送局・広島ホームテレビが長年にわたり撮影を続けてきた映像を基に、被爆者の遺品の数々、訪れる人々の表情、歴代館長の被爆証言を通じて、資料館が私たちに何を語りかけるのかを問いかける作品だ。
ボロボロの学生服が語る悲劇
映画の冒頭、1990年ごろの映像が映し出される。ボロボロの学生服が人型の骨組みに着せられ、展示されている。14歳で被爆した7代目館長の故・高橋昭博さんが、その前に立ち、声を詰まらせながら語る。「この前に立つのは私は非常につらい。私の同級生、下級生のものです。3人のお母さんから寄贈を受けました。3人とも死にました」。この学生服は、高橋さんの学友たちが着用していたもので、母親たちから寄贈されたものだ。3人全員が原爆で命を落とした。
資料館設立の目的
1955年に設立された資料館には、被爆者の遺品を含む約2万2千点の資料が保存され、その一部が展示されている。映画の序盤で現館長の石田芳文さんは、設立目的を「世界のあらゆる国々の人たちに被爆の実相を伝え、核兵器廃絶や世界恒久平和の実現に寄与すること」と説明している。資料館は開館以来、国内外から年間約100万人以上の来館者を受け入れており、その役割は極めて重要だ。
別の場面では、高橋さんが資料館を訪れた子どもたちに自らの手に残るケロイドを見せながら、講演で「みなさんのお父さんお母さん、兄弟、学校の先生、友人たちが死ぬことが戦争ですよ」と語る姿が映し出される。高橋さんは退職後も核廃絶を訴え続け、2011年に亡くなるまでその活動を続けた。
映画制作の背景
映画は地元の広島ホームテレビが制作した。共同監督の一人、立川直樹報道部長(48)は、高橋さんを2009年から取材。高橋さんの没後、妻の史絵さんがカメラの前で生前の夫の思いを語った。「(亡き友の)代弁をしなきゃいけない。だから自分は生き残った」。この言葉は、被爆者としての使命感と、戦争の悲惨さを伝え続けることの重要性を如実に示している。
もう一人の共同監督、斉藤俊さんもまた、長年にわたり資料館の活動を記録してきた。映画では、キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長が資料館を訪れた際の貴重な映像も含まれており、国際的な関心の高さも伝えている。
資料館の今後の課題
資料館は70年の歴史の中で、展示内容の更新や来館者への訴求方法を模索してきた。近年では、被爆体験の風化が進む中、デジタル技術を活用した新たな展示方法も導入されている。しかし、映画では、そうした変化の中でも、学芸員たちが一貫して大切にしてきた「被爆者の声を代弁する」という姿勢が強調されている。
映画「原爆資料館 語り継ぐものたち」は、単なる記録映画ではなく、私たち一人ひとりに平和の尊さと核兵器の恐ろしさを問い直す機会を提供する。資料館の展示を通じて、過去の悲劇を未来に伝えることの意味を、改めて考えさせられる作品だ。



