元・新日本プロレス社長で、アントニオ猪木の元娘婿であるサイモン・ケリー猪木氏が、猪木の晩年に見せた意外な素顔や、安らかな最期の様子を明かした。身内だからこそ知る、リング上の強さだけではない人間性とは。
「南極で興行をやりたい」猪木の壮大なロマン
サイモン氏は猪木の晩年について、「もっと長生きできていたら、やっぱり壮大なロマンを追い求めていたでしょうね。とにかくムチャなこと、普通じゃないことをやりたがる人でしたから」と語る。具体的には「南極で興行をやりたい」とよく口にしていたほか、キューバの島での宝探しなど、常識を覆すアイデアが尽きなかったという。実際に猪木は北朝鮮でプロレス大会を実現させており、大晦日興行「猪木祭り」もそれまでの常識を破る試みだった。
2001年の「猪木祭り」では、小川直也と藤田和之が欠場し、マッチメイクが大ピンチに陥った。ジェロム・レ・バンナの対戦相手が決まらない中、猪木は「誰もやらないなら俺がやってやるよ」と自ら名乗りを上げ、「やるだけなら俺だってできる。俺が失神KOされたら全部の新聞の一面だろ」と周囲を驚かせた。
安田忠夫の代役成功と猪木の頭の中
結局、猪木が出場することはなく、代役に抜擢された安田忠夫がバンナと対戦し、まさかの勝利でブレイクした。サイモン氏はこの時、猪木の頭の中には過去の新日本プロレスのリーグ戦があったと振り返る。1982年4月1日、蔵前国技館で行われたMSGシリーズ決勝戦では、アンドレ・ザ・ジャイアントと猪木の対戦が予定されていたが、猪木がケガで欠場。代打でキラー・カーンとアンドレが戦い、それが大いに盛り上がったという。猪木はアメリカの空港へ向かう車中でサイモン氏にその話をし、「代打が頑張って盛り上がることもある」と語った。サイモン氏は「安田さんのコンディションいいですよ」と伝えたという。
安田はロサンゼルスのマルコ・ファスのジムで格闘技の練習を積んでいたが、運転免許がなかったため、ホテルからジムまで毎日自転車で片道1時間かけて通っていた。そのため体が絞れており、さらにアメリカでスポーツベッティングを覚えた安田は、練習が終わると「すぐホテルに戻ってアメフトの試合が観たい」と必死に自転車をこいでいたというエピソードも明かされた。
数々のサプライズと「最後の一花」の叶わぬ夢
猪木は数多くのサプライズを起こしてきたが、最後の一花を咲かせることは叶わなかった。それでも、晩年は旧知の人間たちとの関係を修復することができたという。サイモン氏は「幸せな晩年だった」と断言し、身近に接したからこそ見えた猪木の強さだけではない人間性についても語っている。
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