奈良県の山奥で生まれたパズルブロック「LaQ」が、累積赤字8000万円という窮地を乗り越え、現在では世界28カ国に販路を広げるヒット商品となった。その成功の鍵は、書店での体験販売にあった。
平面パーツから立体へ:LaQ誕生の瞬間
「平面のパーツを組み合わせて立体を作れば、面白いのでは──」
発明者の吉條さんは、その場にあった紙を手に取り、四角形や三角形のジョイント部分を描き、ハサミで切り抜いた。「平面にも、立体にも、球体にもなる! これだ!」。これがLaQの原型の誕生瞬間だった。
その後、何十種類もの試作を繰り返し、より小さく、より軽く改良。最終的に7種類の基本パーツと13色のカラーバリエーションに落ち着いた。パーツ同士を合わせると「パチッ」、外すときは「カチッ」と気持ちの良い音がするのが特徴だ。
吉條さんの口癖は「2年までが我慢の限界。3年経ったら意地。できるまでやらないと気がすまない」。アイデアを一人で形にしようと奮闘し、5年をかけて1993年にLaQが完成。名前は「球体」が作れるブロックという意味から「Q」、語感を重視してフランス語の「ラ」を付け「LaQ」とした。
着物から発想:日本の伝統が生んだブロック
LaQの開発コンセプトには、日本の伝統である着物も影響を与えている。同社の永井さんは「限られたパーツからあらゆる形を創造できるLaQは、一枚の布を体型に合わせて着物に仕立て、成長に応じて直し、布の状態によっては座布団やお手玉にするという着物の考え方から発想を得ている」と説明する。使う人の成長やライフスタイルの変化に合わせて形を変えるというコンセプトのもと、開発が進められた。
累積赤字8000万円:おもちゃ屋では売れず
1994年、吉條さんは完成したLaQを手に東京や大阪の玩具問屋を訪問。「これは絶対に売れる」と確信していた。しかし、世間はファミコン全盛期。おもちゃ屋にLaQを置いてもらっても、子どもたちはまったく興味を示さなかった。
それでも「絶対に世の中の子どもが喜ぶはず」と信じた吉條さんは、金型の生産設備を整え、営業担当者も雇った。当時の累積赤字は8000万円に上ったという。
売れない日々は4年続いた。吉條さんは自身を「どしぶとい」と語り、諦めずに営業活動を継続。理髪店やガソリンスタンドなど、目に入ったあらゆる店に飛び込みで営業をかけ、頭を下げて商品を預けた。「絶対に良い商品だから、まずは子どもの手に触れてもらうことが最優先」と考えた。
転機は書店から:体験コーナーで即完売
転機は書店から訪れた。児童書エリアに、子どもたちがLaQに触れられる体験コーナーを設置してもらったところ、1週間後には預けていたLaQがすべて完売したとの連絡があった。この成功体験をきっかけに、LaQは全国の書店に広がり、やがて世界28カ国へと輸出されるまでに成長した。
現在、LaQは教育現場でも活用され、創造性や集中力を育む玩具として評価されている。累積赤字8000万円の苦境を乗り越え、奈良の山奥から世界へ飛び出したLaQの成功は、粘り強い信念とユニークな販路戦略が生んだ奇跡と言えるだろう。



