1970年大阪万博パビリオン、現存はわずか6館 レガシー調査を書籍化へ
1970年大阪万博パビリオン、現存はわずか6館 書籍化へ

1970年(昭和45年)に開催された大阪万博の閉幕後、各地に移設されたパビリオンのうち、現存するのはわずか6館であることが、万博レガシー調査で明らかになった。この調査の集大成をまとめた書籍化が進められている。

現存するパビリオンはカンボジア館など3館

大阪府吹田市の万博記念公園にある「EXPO'70パビリオン(旧鉄鋼館)」では、橋爪紳也氏が監修した企画展「大阪万博ビフォー・アフター展」が来年2月末まで開催されている。この展覧会は、橋爪氏が提唱し、企画展プロデューサーの小谷洋介さんが継承した万博のレガシーに関する調査研究の成果を示すものだ。

会場では、カナダのブリティッシュコロンビア州館の館長から芸術家の岡本太郎氏に寄贈され、テーマ館の地下に陳列されたトーテムポールを特別公開している。長年行方がわからなかったが、大阪万博の閉幕から55年を経て、所在が判明したものだ。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

公式記録に23棟の移設リスト

大阪万博のパビリオンがどこに移築されたのか。最初の手掛かりとなったのは公式記録だ。『日本万国博覧会公式記録 第1巻』には、1971年12月時点の情報として、各地に移設されたパビリオンの一覧が掲載されており、リストには23棟が記載されている。

遊園地や動物園などの休憩所、レストランなどとして利用された事例が多い。大阪府豊中市の幼稚園の園舎に、国際共同館の独特な形状のガラス窓を移設したケースもあった。一方で、名古屋市の東山動物園に移されたロスアンゼルス市館や、三重県四日市市の港湾に再建されたオーストラリア館など、国際交流を目的とする公共施設に転じた例もある。

行方不明のケースも

リストに載っているものの、その後の状況がわからないケースもある。兵庫県尼崎市がドミニカ館など3館をもらい受け、兵庫県三日月町(現佐用町)の老人ホームに転用したとされるが、詳細は不明だ。ブルガリア館は、同国の首都ソフィア市に移し、国際博覧会に初出展を果たしたことを記念する施設にする旨が記載されている。実際に資材は本国に輸送されたが、用地と財源の確保がうまくいかず、記念館は実現しないまま終わったようだ。運ばれた部材の顚末もわからないままになっている。

公式記録のリストに紹介されたパビリオンの過半は無事移築されたが、その後、さまざまな経緯から多くが取り壊されている。現存するのはカンボジア館とミュンヘン市館、サンヨー館だけである。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ