長崎で学んだ平和への思い、秋田の少女が湯沢で発表へ
長崎で学んだ平和への思い、秋田の少女が湯沢で発表へ

秋田市の小学4年生、鈴木アヒナ・エマさん(10)は8月10日、長崎市で被爆者の橋本富太郎さん(82)から原爆や平和についての話を聞いた。エマさんは9月に湯沢市役所で長崎での経験を発表する。

被爆者の語り

橋本さんは1歳の時、爆心地から約4キロの場所で被爆した。原爆の実態を知らない世代が増えていることを危惧し、20年ほど前から語り継ぐ活動をしている。

橋本さんは「被爆当時の記憶はないが、染みついた記憶はある」と語り、初めて口にした言葉が「解除」だったことを明かした。空襲警報解除など戦時中の生活が影響しているのではないかという。今でも毎年8月9日午前11時2分、黙とうの合図となるサイレンの音が長崎の街に流れると体が震えると話す。子どもの頃から体が弱く、病気がちで、「原爆の影響なのかなとも考えてしまう」と語った。

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エマさんの質問

エマさんが「被爆者としてアメリカのことをどう思っていますか」と問いかけると、橋本さんは「バカタレ。戦争にもやり方がある。あまりにもひどかやろ」と語気を強めた。エマさんはその様子を真剣なまなざしで見つめていた。

昨年7月、講話のために秋田市を訪れた橋本さんは、終戦直前の土崎空襲を知った。「戦争で残るものは何もない。残るのは焼け野原だけ」と長崎と秋田を重ね合わせ、こう訴えた。

活動報告会と今後の予定

取材を終えると、エマさんはすぐに原稿用紙に向き合い、記事をまとめた。「秋田で話を伝えてくれるのはいいことですね」。橋本さんは優しい表情で見守っていた。

翌11日、全ての取材を終え、親子記者の活動報告会があった。エマさんは原爆を搭載したB29が飛び立ったテニアン島の市長や橋本さんから聞いた話を織り交ぜながら、「長崎で勉強したことや自分の先祖の話など、平和についてのお話をしていきたい」とステージ上で決意を述べた。

今回、鈴木アヒナ親子ら全国の親子記者が執筆した記事をまとめた新聞『ナガサキ・ピース・タイムズ』は9月末頃に完成予定。事業を主催する日本非核宣言自治体協議会の加盟自治体に配布されるほか、同協議会のホームページで閲覧できる。

仕上げ前に刷られた新聞を見て、エマさんは「長崎楽しかったね」とほほえんだ。麻由さんは「この子が平和について考えていくのはここから」とかみ締めた。

エマさんは、9月に湯沢市役所で長崎での経験を発表する。戦後81年のこの夏、日米にルーツを持つ少女は、長崎で育んだ平和への思いを秋田で伝え、広げようとしている。

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