韓国のイ・チャンドン監督による8年ぶりの新作長編映画「もしもの愛」(一部劇場で10月23日から公開、11月6日からネットフリックスで独占配信)は、現代を生きる2組の既婚カップルをめぐる物語だ。一方は、会社から解雇された男とその妻。もう一方は、その夫婦のドキュメンタリーを撮ろうとする女と、彼女を支える裕福な夫。映画は旧約聖書の十戒の第10戒「隣人のものを欲してはならない」という言葉とともに始まる。
異なる階級の2組の夫婦が交差する
異なる社会階級に属する2組の夫婦が、それぞれの人生をのぞきこむ物語。きっかけを作るのは、ドキュメンタリー映画監督のイェジ(チョ・ヨジョン)という女。裕福なほうのカップルの妻だ。イェジが現代の労働者を題材にした映画をつくり始めたことが、ことの始まり。彼女は取材先で出会ったホソク(ソル・ギョング)とその妻ミオク(チョン・ドヨン)に目を留める。かつてホソクは重工業大手の工場で正社員として働いていたが、会社側が従業員の大量解雇を決定。ストライキでの抵抗もむなしく職を失い、時を経ても立ち直れない。そんなホソクをミオクは支え続けている。
この2人に被写体としての可能性を感じたイェジは、さっそく接近。夫サンウ(チョ・インソン)の協力を得て家族ぐるみの関係を構築し、さらに取材を深めようとする。
多面的な人物描写と社会のひずみ
最初はわかりあえるわけがないと思うが、見るほどに、ひょっとしたら……と思えてくる。登場人物たちは思った以上に多面的で、奥行きもある。とりわけ女たちは見くびってはいけない。
サンウはホソクのことを「典型的なリストラ社員」と評する。確かに、彼のように職を失った人は多くいるだろう。ほかの韓国映画でもリストラは繰り返し題材にされてきたが、大量解雇が当事者をどんなふうに苦しめ、トラウマを与えたか、現代社会や人間関係に与えた影響については、どれだけ知られているだろうか。この映画は、知っているつもりだったものごとをちゃんとのぞきこませる。2組の夫婦の関係、すなわち4人の男女の間の力関係がどう転がっていくかというスリル、十戒の言葉がストーリーにどう絡むのかという興味で観客をひきつけ、凝視を誘う。
そこには、とるに足りない人間などいないということも、彫りの深い人間描写を通して実感させる映画でもある。過去のイ・チャンドン監督作で忘れがたい演技を見せたソル・ギョング(「ペパーミント・キャンディー」「オアシス」)とチョン・ドヨン(「シークレット・サンシャイン」)という名優2人の演技もそれを支える。ともに、もうベテランだが、彼らが作品にもたらすのは重たい風格ではなく、みずみずしさ。生きている人間のにおいがちゃんとする。
哀切な回想シーンや、解雇された労働者やその家族がグループセラピーで語る言葉にも心揺さぶられる。今の社会のひずみへの人々の怒りが折に触れて滴ってくる。その点は、一つ前の長編「バーニング 劇場版」とも重なる。
男たちのパワーゲームと女たちの希望
本作で最も怒り、絶望している人物は、おそらくホソクだ。彼は長らく、韓国の伝統的な男らしさ、家父長的ふるまいの信奉者だった。自らの家族の面倒を見ることも、工場の後輩たちのことを「弟たち」と呼んでかわいがっていたのも、それゆえ。だが、彼の信仰は打ち砕かれた。古い価値観を歯牙にもかけず、現代のパワーを手中に収めたサンウと向き合うホソクの姿は見ていて痛ましくもある。
ただ、この映画で描かれるパワーゲームは男たちだけのものではない。妻たちも影響を及ぼし合う。恵まれたイェジが労働者の取材をするなんて、最初は悪い冗談のように思えるが、みんなが自分の世界に閉じこもっていたら、分断は終わらない。そもそもイェジは銀のさじをくわえて生まれてきたわけではない。ミオクは鋭く共振する。たぶん本能的に。
彼女たちの個々の言動(特に終盤、海辺の別荘でそれぞれが見せるもの)はさまざまな解釈の余地を残すが、結果的には、閉じた世界に穴をうがっていく。そして、それはきっと希望のとば口。それぞれの世界に閉じこもっていた者同士がつながる可能性をのこす。その穴の向こうをのぞきこめば、彼女たちがいつか見た月の光が差し込んでくるような。その闇夜の光は、映画館で見る光にも似ているような……。
イメージと物語が相まって思索をかき立てる映画。ネットフリックス映画だから、少し待てば配信が始まるが、劇場のスクリーンで味わう機会があれば、ぜひ。エンドクレジットに現れるのは、同じ十戒を料理したクシシュトフ・キェシロフスキ監督・脚本による「デカローグ」10話への献辞。物語はまったくの別ものだが、語り口のトーンを含め、響き合うものはやはりある。
脚本は「バーニング」に続き、イ監督とオ・ジョンミが共同で手掛けた。映画監督の業をめぐる映画として見ても非常に興味深い。第83回ベネチア国際映画祭で審査員大賞(銀獅子賞)を受賞している。