フィギュアスケートの羽生結弦選手がきっかけとなり、ルーマニアの哲学者エミール・シオラン(1911-1995)が再び注目を集めている。「絶望の哲学者」として知られるシオランの思想は、不眠症という個人的な苦悩から生まれた反出生主義に根ざしている。
不眠症が生んだ「無間地獄」と反出生主義
「全然眠れないままの状態でこれを身を以て体感させられる時間は、正に無間地獄と言うべきだ。ここにおいては生産的な活動なんてものはできるわけがない。悲観主義的な思索を深めるか、はたまたそんな不毛な思索から逃れるために、無駄も無駄すぎる作業に精をだすか……」
シオランは特に若い頃に深刻な不眠症に苦しみ、このような「無間地獄」を日々経験していた。夜明け前が最も暗いと言われるが、その時間帯に絶望や焦りといった負の感情は最高潮、いや最低潮に達する。しかしシオランはその最低の状態こそで、「生まれてこなきゃよかった」という自身の思想の核となる反出生主義の閃きを得たのだ。絶望の伝道師として世界に名を轟かせるシオランは、最底辺からすべてが始まると説く。
「責任」という概念への痛烈な異議申し立て
シオランの名言の一つに、責任概念への痛烈な批判がある。超訳すると「生まれるスペック聞いてなかったから、俺には一切責任なし!」というものだ。逐語訳では「責任という問題は、私たちが生まれる前に相談を受け、どんな人間になるかに同意していた場合にのみ意味をなす」となる。
人間社会では、子供を産む行為に直結するセックスを含め、多くのことに双方の同意が必要とされる。しかし「産む/生まれる」だけは完全に例外だ。勝手に生まれさせられ、成人したら「生まれてきた責任」「社会に生きる責任」を果たせと言われることへの違和感を、シオランは言葉にする。
「生まれる前に『産んでもいいですか?』と相談があった上で、環境、性別、身長、体重、見た目、学力、運動能力、性格などすべてに双方合意したのでなければ、責任という概念は意味を成さない」という主張は、通常「当然でしょ?」とスルーされる問題に目を向けさせる。これこそがシオランの真骨頂であり、生まれること自体に対する不都合な真実を次々と暴き、彼は「反出生主義者」と恐れられるに至った。
「生まれなかった自分」を想像する幸福
シオランの思想は一見暗く pessimistic に見えるが、その根底には「生まれなかった自分」を想像することで、現在の生を相対化し、むしろ肯定する視点も含まれている。羽生結弦選手がこの哲学に共感した背景には、競技者としての極限状態や葛藤があるのかもしれない。
シオランの著作は日本でも多くの読者を獲得しており、特に『生まれるのも生きていくのもめんどくさい!超訳シオランの言葉』(飛鳥新社)などの超訳本が若年層を中心に支持されている。絶望の哲学は、現代社会における生きづらさを抱える人々にとって、新たな視点を提供している。



