8月15日の正午、筆者は外房の片隅で靖国神社の方角を向いて黙禱する。祖国のために亡くなった父祖たちへ感謝と哀悼の気持ちをささげる、もっともふさわしいスタイルだと考えるからだ。「とにかく、静かに祈りたい」という思いがある。
3年前のコラムに込めた憤り
3年前の夏、靖国神社の社報「靖国」にコラムを書いた。その一部を引く。
「伝統や文化が魂にしみ込んだ存在、すなわち人間が、宗教施設に祀られた死者を悼み、感謝しようとするとき、その行為を静かに見守るのは、どんな国においても、人として最低の義務であろう」
続けて、こうも書いている。
「自分の価値観にそぐわないと、その行為を声高に非難する者、それに対して『収まりのよい物語』に付和雷同して大声で反論する者は、ただの動物ではないか。非難する者にも反論する者にも、靖国の政治利用という薄汚い思惑が感じられてならないのだ」
変わらぬ言説への思い
書きぶりは静かだが、かなり強い憤りがにじんでいる。この感情はいまも変わっていない。靖国参拝をめぐる言説が、何も変わっていないからだ。
今年も繰り返されるむなしい猿芝居を横目に、筆者は静かな祈りを選ぶ。



