「一」「二」「三」は、線の本数が数の大きさと対応する「数え上げ形式」で作られた漢字だ。では、なぜ4は横線4本ではなく「四」という文字になったのか。日本大学文理学部中国語中国文化学科教授の戸内俊介さんは、かつて4を4本線で書いた時代があったと指摘する。
最古の漢字資料でも4は4本線だった
現在見つかっている最古のまとまった漢字資料である殷代の甲骨文(紀元前13世紀~紀元前11世紀)では、4は横線4本を縦に重ねた形で表されていた。次の西周時代(紀元前11世紀~紀元前8世紀)の青銅器に文字を鋳込んだ金文でも、4は4本線で書かれた。
「四」が初めて現れたのは、春秋時代(紀元前8世紀~紀元前5世紀)になってから。この字はもともと鼻水が鼻から流れ出る様子をかたどった象形文字で、現在の「泗」に相当すると考えられる。
発音が同じことから「四」へ転用
甲骨文では「四」は4を表さなかったが、春秋時代以降、4を表す語と発音が同じだったことから、4を表す文字に転用された。このように、ある語に対し、発音が同じまたは近い文字を当てる表記は「仮借」と呼ばれる。春秋時代の金文では、4本線の字形と「四」が併用されていた。
この状況は戦国時代(紀元前5世紀~紀元前221年)まで続き、戦国時代の楚で書かれた竹簡「楚簡」でも「4本線」と「四」が共存している。
つまり、4の表記は「線の本数で数を示す」方式から、音を利用した漢字の書き換えによって「四」へと移行していったのである。



