落語家の三代目桂花團治さん(63)が、ソ連の侵攻で樺太(サハリン)から引き揚げた女性を題材にした創作落語を完成させた。4年前に83歳で亡くなった育ての母親が樺太出身だったことに着想を得たもので、「樺太の歴史を知ってもらうきっかけになれば」と語る。
育ての母の故郷・真岡での出来事
花團治さんは大阪府豊中市出身。1982年に二代目桂春蝶に弟子入りし、2015年に三代目「桂花團治」を継いだ。戦争を語り継ぐ落語を2021年から始め、これまでに4作を完成させていた。
5作目のきっかけは、父親の再婚相手で育ての母親・森芳子さんが2022年に亡くなったことだった。相続の手続きで戸籍を見て、樺太南部の真岡出身だと初めて知った。生前、ソ連侵攻や樺太で生まれたことは聞いたことがなかった。
樺太の歴史を本などで調べると、侵攻を受けた真岡では郵便局の電話交換手の女性9人が集団で自決したことが分かった。「伝えなければ」という気持ちがわいたという。
稚内訪問で加筆したエピソード
今年1月頃から創作を開始。樺太の名産で芳子さんの好物だったニシンにちなみ、タイトルを「みがきにしん~樺太真岡の記憶」とした。真岡出身で青森に疎開した27歳の芳子さんが終戦から20年後に同郷の人と大阪で再会し、引き揚げ時の様子などを振り返る物語に仕立てた。
6月の時点で作品はほぼ完成していたが、「何かヒントが得られるのでは」と考え、7月に北海道稚内市の樺太記念館を訪問。「疎開船に向かう道中に哺乳瓶と一緒にたくさんの乳児が置き去りにされていた」という話を職員から聞き、ハッとした。当時7歳だった芳子さんも、樺太で同じ光景を見たのかもしれない。「置き去りにされた乳飲み子と僕たちを重ねて、放っておけないと思ったんじゃないか」と話す。
作品に込めた思い
芳子さんは、花團治さんの父親と1966年に結婚。母親がすでに他界しており、当時3歳の花團治さんと1歳の弟を育てることになった。愚痴をこぼさず、いつも優しく接してくれた。花團治さんは小学生の時にケンカした際に「私もほんまのお母さんになろうと必死なんや」と言われたことが忘れられないという。
稚内訪問を終え、作品の中で結婚を間近に控えていた芳子さんのセリフに「あの乳飲み子が置き去りにしてあった光景が忘れられへんねん。せやから、うちはあの子らのお母さんになる」と書き足すことにした。花團治さんは「稚内に行き、納得できる作品となった。これからも身近な人の戦争体験をテーマにした落語を作っていきたい」と力を込める。
ソ連の侵攻とは
ソ連軍が1945年8月に日本領だった南樺太に侵攻。地元の住民約8万人が船に乗って同23日までに北海道などに緊急疎開した。さらに46~49年に数十万人が日本に引き揚げた。



