写真家・奥山淳志氏の随筆集『カナシイホトケ』(みすず書房、3740円)を、歌人の大森静佳氏が評した。著者は二十代で岩手県雫石に移住して以来、東北の祭礼を撮影し続けてきた。本書はその記録を随筆としてまとめたもので、数十枚のカラー写真とともに、風土の中で生き死にを繰り返す人間の姿を情感豊かに描き出す。
伝統と現代の間で
豪雪の村で唸り声をあげる「やまはげ」、棒切れのような「オシラサマ」、早逝した子どもの地蔵「カナシイホトケ」。著者はこれらの祭礼を静かな筆致で記録し、伝統的な祭礼が消えゆく現代に祈りを込める。大森氏は「一篇一篇に長く立ちどまった」と評する。
著者は高度経済成長期に新興住宅地で育ち、霊魂の世界に惹かれつつも信仰心を持たない。厳しい自然を前に祈るしかなかった時代とは異なる視点から、伝統が内包する価値観は枷ともなり得ると問いかける。現代に祭礼は本当に必要なのか、という問いを、半分信じ、半分は未来に向けて真摯に問い続ける重層的な視点が大きな魅力だと大森氏は指摘する。
風土に沁みる時間と個の時間
読み終わった後も印象に残るのは、著者が取材したある若い男性の話だ。北海道からママチャリで放浪の果てに古い民家に棲みついた彼は、やがて農業を始めるなど地域に馴染んだかに見えたが、ある日突然姿をくらます。後日、著者が退去の理由を尋ねると、草刈りの鎌で偶然カエルの片目を傷つけ苦しませてしまったからだという。この不思議な理屈を著者が受け入れるまでの文章が素晴らしいと大森氏は称賛する。
風土に沁みこむ永遠の時間と、カエル一匹が生きて死ぬ個の時間。命の遠近法がねじれ、世界が混沌とざわめきだす。愛する者を失うなどの途方もないかなしみに耐えるため、人は祭礼や儀式という「物語」を必要とした。その物語は、線香に火をつけ、供花を砂浜に挿すようなささやかな細部に宿る。昔から繰り返されてきた仕草を私たちの腕がなぞるとき、未知の苦しみにほんの一滴のなつかしさが混ざる。
これから盂蘭盆を迎える八月の読書に強く推薦したい一冊だと、大森氏は結んでいる。



