中上健次の故郷である和歌山県新宮市中心部からバスで約1時間、山々の間を通る曲がりくねった道の先に、神秘的な雰囲気の熊野本宮大社がある。杉木立の中、奉納幟が立ち並ぶ158段の石段を上ると、汗がじんわりと額ににじんだ。
1976年に『岬』で芥川賞を受賞した中上は、差別・被差別の構造を捉え直そうと、77年3月から12月にかけて本宮を含む紀伊半島の全域を旅した。各地の「路地」に住む古老たちへのインタビューを敢行し、ルポルタージュ『紀州 木の国・根の国物語』にまとめた。記紀(古事記と日本書紀)を目指し、「地霊を呼び起こすように話を書く」と記した。
取材同行者が語る当時の思い出
「健次さんとカメラで各地の写真を撮って、面白い時間だった」。取材旅行に同行した楠本秀一さん(77)は語る。当時はファクスがなく、楠本さんが編集部に電話して、原稿を一字一句読み上げて送稿したという。「一文字も間違えてはならないから緊張した」と笑う。
中上は「路地」が次々に開発され消えていくことについて憤っていた。中上にとって、紀州の旅は自身のルーツを探る旅でもあった。本宮の旧社地「大斎原」の神聖な雰囲気にほれこみ、86年7月に戯曲『かなかぬち』を野外上演した。南北朝時代を舞台に、金属の神と炎などを題材にした。
大斎原での野外上演と宮司の証言
同神社宮司の九鬼家隆さん(69)によると、中上は使用許可を得るため、先代宮司の父の元へ足しげく通っていた。「『大斎原そのものが舞台になり、地の力で演じたい』とおっしゃった。新たな熊野の姿を示したいという熱意があった」
『かなかぬち』の上演以降、同所では歌手のコンサートなどが開かれるようになり、今や多くの人々が集う場所になった。『紀州』で中上は本宮の地を歩き、次のように記した。
<神の場所とは、貴と賤、浄化と穢れが環流し合って、初めて神の場所として息づく>
中上が寝そべった草地に立つと、遠くからセミの声が聞こえてきた。



